GENSOU SUIKODENX









胸の痛みが止まらない。
心がふるえてどうしようもない。
駄目だと思うのに、崩れては駄目だとそう思うのにどうして。
どうして心が塞がるのだろう。

本拠地を抱くようにして広がる湖面は風に揺らいで月の光をただ跳ね返す。
いつもとは違う不自然な沈黙で静まり返っている城内に、
そんな些細なことでさえ胸を押しつぶされそうな自分がいて。
……ああ揺らぐな。
意志とは関係なく震え、凍えている心が、
決して揺らがせない立ち止まらないと誓った意志をも包み込もうとする。
頼むから、揺らがないでくれ――。

懇願にも似た思いが一人きりの夜空にとけて消えていく。

誰か。
と、そう呟く。
心に在る名を呼ぼうとして、



――そしてはっとした。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
誰の名を自分は一体呼びたいのだろう。

思い、心が砕ける。
持ち直そうとした心が水のように、冷たさだけを残して手から滑り落ちてゆく。

父上、母上―その名はこの戦いが終わるまでは呼ばないと決めた。
リム?ゲオルグ?…届かない、痛みなんて届かせたくない。
叔母上。心はとても近いはずなのにどうして今はそんなに遠いの。
リオン?駄目なんだ彼女もまた――。
唇を、かみ締める。

誰か。
心が求めるまま、誰でもないだれかをもう一度呼ぶ。



「――王子」



背後に人の気配と低い足音がして、凪のような声が身体を包んだ。
ああ―…。

その時浮かんだいろいろな思いの中の一番大きなものに、
凍えた胸が溶かされる。


「・・・カイル」


振り向かず、ただ闇色の湖面だけを見つめて彼の名前を呼ぶ。
何も考えず、ただ唇が紡ぐまま。

「王子」
もう一度呼ばれて、それから少し間を置いて
「大丈夫ですか」
そう尋ねられる。
一言に精一杯の思いが詰まっているかのように、
その在り来たりで一見薄情にも聞こえる言葉が、一直線に心まで届く。

・・・自分はまだ、大丈夫だ。
人の想いを好意を優しさを真っ直ぐ受け取れるだけの心を持っていられる。
それを知って安著する。


「・・・うん。大丈夫」


言って水面から視線をあげ、遠い星空の一点を見つめる。
風が双眸に痛い。


「カイルは、心配性だなぁ」
「…泣かないでください、王子」


「泣いてないよ」
「嘘つきー。泣いてますよ」
涙はこぼれてませんけどね。そう言って少しだけ冷たい指が乾いた頬を拭うようにする。


馬鹿。それは泣いてるって言わないよ。


哀しみと悲しみと苦しみと切なさと愛しさで自分が埋まって、 彼の言葉に笑うと、
流れずに目を覆っていた涙が筋をつくって滑り落ちた。
痛みだけで溢れていた涙がそれだけじゃない温かさと混じり、とても熱い。


カイルはわずかな間だけセーシスの顔をじっと見つめたあと、泪でぬれているセーシスの頬を拭った。
そしてゆっくりと自分の肩口近くにある頭を抱きしめる。

「困ったなー」




「泣きたい時には泣いてほしいのに、王子が泣くと俺まで泣きそうになっちゃうじゃないですかー」




そう言ったカイルの声はくぐもっているせいか、いつもより低くそして掠れて聞こえて。
思わず、抱きしめ返す。
背中に回した手がカイルに触れた瞬間、彼の体が少しだけ震える。
強く抱きしめられる。




ねぇ王子。




「俺は最後まで傍にいますよ。他の誰がいなくても俺だけは絶対にいますから」
だから王子も俺の傍からいなくならないでくださいねー。












1.月と泪  
軽く、優しげに。でもひたすらにつよく言われたその言葉に、ただ救われた
唐突な別れに贈る7つのお題より