GENSOU SUIKODENX









「王子!」

耳慣れた声で呼ばれてゆっくりと振り返る。

「何やってるんです。一人でいなくなるとか心配するでしょー」
「なんだ、もう見つかったの?」

軽く言っているようで実はちょっとだけ笑っていないカイルの目許を見ながら、セーシスは肩をすくめた。
上半身だけ捻るようにして見た後方には眩しすぎるほどに輝く太陽を遮るようにしているカイルがいて、
その細やかな気遣いに胸の中で笑む。

「『もう』っていうか俺的には『やっと』なんですけど」

みんないるくせに王子だけいないのってすんごい心臓に悪いんですよーと小言らしきものを言うカイルにかまわず視線を目の前に広がる湖に戻すと、
聞いてますー?と相変わらず間延びした声で責められる。
騎士というのに似合わずやんわりとした雰囲気を持つ男に聞いてるよと返して、
カイルが来る前までそうしていたように陽の光を浴びて輝く湖面を見つめる。

そんな“聞かれている”だけで全く意味のなさない自分の小言にカイルは大袈裟に溜息をついた。
セーシスが前を向いたままで小さく笑う。
途端、む…と思案顔になったカイルが腕を組んで何かを考える仕草をする。
それからこつと足音をたてながら数歩の距離を埋め、騎士服の裾が板につくのも構わずにセーシスの隣にしゃがみ、自分の親愛する王子の顔を覗き込んだ。



王子に無視されると俺泣いちゃいますよと真面目な顔で言われてセーシスはまた笑った。



いつ僕が無視したの?ちゃんと聞いていたよ。
自分が親愛する騎士に目を移してそう言い、愛しげに目を細める。
そんなセーシスを間近で見たカイルはうわーこれって何気に反則でしょ、と心の中で呟き、
飛び上がった心臓を誤魔化すために話題転換をはかろうとして微妙に転換していない話題をセーシスにふる。

「王子、一人で出掛けるなんてこれっきりにして下さいねー」
「ふふ、善処はするよ」
「…リオンちゃんに言いつけますよ?」
「それは困るな」
「でしょ。だったら―――」

そこまで言ってカイルは言葉をとめる。
視界をうめる湖面と同じ色の瞳と自分の目が真っ直ぐに絡んで、
そして瞬間的に見えた(感じた)ものが一気に言うべき言葉を掻き消した。


「・・・王子?」


途方もない、恐怖―とも言うべきものを感じて、たぶん自分が最も大切にしているだろう音を思わず唇が紡ぐ。
そんなカイルを見て、彼に走った何かを納得したセーシスは、自分の奥にあるものを見て(感じて)しまった愛すべき女王騎士に哀れみのようなものを抱いて三度視線を湖へと戻した。

・・・言ってしまおうか。

心がそんな思いを汲み取った瞬間に、するりと言葉が流れてゆく。



「…同じようなことを前にリオンからも言われたよ。
『ひとりでいなくならないで下さい』『何処かへ行くなら私もお供させて下さい』って」



そう言いながら本人を思い出しているのだろうセーシスの表情はとても柔らかい。
桟橋のふちから片方だけ投げ出している足を一度だけ揺らして、立てた右足を抱えるようにして腕をまわす。
そしてふと変化などしていないに等しい程度に顔を曇らせた。



「王族というのは不便だね」



言うと同時に(きっと無意識だろうとカイルは思った)近くを見ていたセーシスの目が遠く――僅かな彩りを見せ始めた森のさらに遠くをみるように移動したのにカイルは気づいて、
らしくないほど自分の心が乱れたのを自覚した。
ほんとに、泣いちゃいますよ。
わざと軽くそう思って、それでもそれが言葉になることはなくて知られないように唇を噛む。
しかしそれに気づいたセーシスがゆっくりと、ゆっくりと傍らを見て
「カイル…」とそう困ったように言って心の中で自己嫌悪した。
言わなくてもいいことを、言っちゃったなあと
普段の顔と並べて見なければ分からない程度の苦しげな嘲笑を浮かべた。



沈黙したままの二人の周りをあのひとに(とセーシスは思った)、
あのひとの使う風と似た凱風が吹いてそのあとに凪ぐ。
ずっと絶えず傍に在った大切な家族を思い出し、そして連鎖するように思い出す。
あの日をあの夜の月を彼の言葉を。
彼の言葉に癒されて彼の言葉に救われて彼の言葉に明日を見た、あの夜。



ロードレイクに吹く風が心を掴んで、そして離れていく。



「…王子はひとりでどこかへ行きたいんですか?
俺もリオンちゃんもゲオルグ殿も誰もいないどこかへ?」
「どうだろう」
「王子ー!」
「…冗談だよ」

重ならない何かをお互いが知って、お互いを隔てる壁の存在を知って、
そしてそれを二人ともが見ていないふりをする。
完璧には交わらない自分たちと真剣に向き合えば
進むことも戻ることもできなくなることを心のどこかで理解していて、
核心の近くをつこうとする言葉は互いに戯れへと摩り替える。



二人の間から完全には消えていない気まずさを振り切るように、
優雅な仕草で桟橋の先端に立ち上がったセーシスが「行こうか」そう言って微笑む。
「そうですね」といつも通りの調子で答えたカイルが見上げるようになった視線を眩しさで細めてから立ち上がり、歩き出したセーシスの後ろを二歩離れた位置からついてゆく。



ああ遠いなぁと、ただそう思った。










「セーシス、カイルが(うざいぐらいに)落ち込んでたぞ」
「ゲオルグ」
「何を言ったかは知らんが、(絡んできてうざいから)ほっとくなんてことはするなよ」
「なぁに、カイルったらゲオルグに泣きついたの?」
しょうがないなぁ。少し呆れたように、しかし慈愛を含んだように優しげな声で言ってセーシスはふふふと笑った。







5.会いたい午後  
貴方があいたいと願うものがいつまでも変わらないようにと。愚かにも、俺は
一日を想う10のお題より