好きか嫌いかと尋ねられたら決して好きだとは言えなかった。
憎いかと聞かれたらきっと否とは言えない。
でも、と思うのだ。
父を返せ妹を返せ、そう泣き叫んだ彼を見て。
それでもまだ生きて償うことを許されるかと言った彼を見て。
憐れみか同情か、あるいは別の何かなのかはわからないけど、
やり直せるならそれを願っても間違いじゃないのではと思ったのだ。
綺麗なことを思って肯いたわけじゃない。
ただあの時どうしても、肯定以外の言葉を心のどこからも見つけ出すことができなかった。
*
自分が絶対の忠誠を誓うと約束したこの国の王子殿下はいつもふらりと現れては他愛無い会話をして、
またふらりと出て行く。
信じられておらず、監視の役目を自らかってでたのだろうかという考えを言葉にする前に否定されたの
は、
殿下が3度目に訪れた時だったと記憶している。
少しだけ憮然としたような口調で静かに「本当にそう思ってるの?」と尋ねられて
「はいそうです」と
は言えなかった。
言えはしなかったが私の思っていることなどお見通しである殿下は軽く溜息を吐いて
「馬鹿だね、君は
」とそう言った。
その声音は、今考えればぼろくずそのものに思える人生で私に向かって言われた言葉のうち、二番目に温か
く(一番目は償うことを許してほしいと言った私に「もちろん」と言って下さった殿下の声だと思っている)慈悲すら含んでいるかのように感じた程だった。
*
「ねえユーラム。怨みや憎しみは癒えるものだと思う?」
始祖の地へと向かう、最後の戦いの直前に現れたセーシスは
いつも通りの他愛無い会話をした後、不意打ちのような脈絡でそう尋ねた。
「………わかりません。ただそう努力するだけです」
「痛いね。荊のみちだ」
淡々と、でも確かに痛みを含んでいる声音が言い、
それに返したセーシスの声も淡々とした静かさがあった。
「それでも、進むだけです」
真っ直ぐな言葉だった。
見なくとも分かる。
ひたすら前を見て言っているのだろう彼に、セーシスは強いなと純粋に思った。
犯した罪から目を逸らさない強さ。人からの敵意を受け止める強さ。
その強さはどこからくるのか。
周りから向けられる厳しい目の中心にいながら『償う』ことに挫けない強さはどうして・・・?
ふと考え・・・。
――ああ、そうか。
頭ではなく心が納得する。
それはきっと『強さ』ではないのだ。
かつて自分がロードレイクのために奔走した時、そんなものを持たなかったように。
彼もまた、それを持っているから前に進めるわけではないのだ。
願うこと、望むこと、失いたくないもの。
それがあってそれを原点として、人はみな走るのだから。
「・・・殿下から頂いた機会を、」
涸れた町と過去の自分に移った思考は、聞こえてきた声に遮られた。
その言葉に興味をそそられて視線をユーラムへと移すと、
「無意味なものにしないために。
・・・・・・過ちを償いたいと思う気持ちに偽りはありません。しかしそれ以上に、」
移した先で、痛いほど真摯な眼差しとぶつかって少しばかり驚いた。
「殿下のお言葉に答えたいとそう思うのです」
償うことを許して下さった殿下のお言葉に。
告げられた言葉に再び心が驚く。
自分の原点。
それは貴方ですと言われたのと同義だった。
思いもせず唐突に理解してしまった事実に、
第一声が遅れて沈黙ができてしまうのを止められない。
複雑だった。
彼を救いたいとかそんな綺麗なことを思ったわけじゃない。
・・・・・・・・・思えたわけじゃないのだ。
「・・・・・・君は」
言ったまま続く言葉を思いつけずに黙り込む。
(どうしてそんなに真っ直ぐ心を向けられるのだろう)
父親を奪い、家名を地に落とさせた人間相手に。
例え自分たちの非を認めていたとしても、
それこそ宿敵のように、長らく敵対し続けてきた人間を相手に
どうして彼は。
返すべきだろう言葉を見つけられない。
確かな好意を向けてもらったのに、返せる言葉がどこにもなくて、揺らぐ。
(綺麗な気持ちを君に向けれたわけじゃないのに)
返せるものは、なんだろう――。
「・・・・・・僕は君があまり好きじゃなかった。
嫌いだと言ってもいいのかもしれない」
ぽつりと言ったセーシスに、ユーラムは耐えるように掌を身体の後ろで握り締めた。
それでも逃げない視線が真っ直ぐに注がれる。
ちらりとそれを見たセーシスの顔が一瞬だけ苦しげに歪む。
「理由は君もよく分かってると思うけど、でも君が思ってるだけじゃない・・・・・・。
幼い頃から要らない存在だと蔑ろにされ、たとえ僕を慈しんでくれる家族がいてもそれは幼心には辛か
った。
なのに君たち貴族の嫡男は、ただ『王族』ではなく『貴族』に生まれたというだけで大切にされ、辛い
ことなんて感じたこともないかのように振る舞い、取り繕った言葉の裏でいつだって僕を嘲笑う。
私欲にまみれた貴族が母たちを苦しめ、リムを悩ませ、僕を思ってくれるリオンやカイルを傷つける。
……そう言う意味でも僕はバロウズ家嫡男である君がずっと嫌いだった」
セーシスの、毅くじっと見つめてくる瞳の奥には、普段は決して表れない暗い影がちらつき、
その深く重い瞬きに、ユーラムの体は硬直したかのように動かなくなった。
そこにあったのは貴族に対する憎しみに似た暗い暗い感情で。
胸を焼く痛みがばしりばしりと伝わってきて、苦悩と後悔と。いろいろなもので心がうまる。
セーシスは呼吸すらも止まっているかのように身動きしないユーラムを数秒間凝視したあと、
ふっと瞳の奥の色をかき消す。
視線を脇へ散らしながら言った。
「でも今は嫌いじゃないよ」
大きく目を見張ったユーラムに小さく、小さく笑った。
それは初めて彼に向けた作り物ではない笑顔。
セーシスの向かい側で大きく息を呑んだ音がする。
そう、嫌いじゃない。
好きなわけではないけど、嫌いなわけでもない。
話すたびにそう思えた。
彼のしてきたこと思えば遺恨はたえない。
嫌っても憎んでもしょうがないと誰しもが言うだろう。
でも・・・・・・。
そこで「でも」と思うのだ、どうしても。
彼を見てどうしても思ってしまうのだ。
だったらきっとこの思いは間違いじゃないはず。
それでいいのか。
自問して僅かばかり迷って、それでいい。そう自答する。
感情は変わっていくものだ。
過去の傷は消えなくても、未来まで拒むのは愚かなことだと思える。
思えたなら、それでいい。
「嫌いじゃない。大切な仲間の一人だと今は思ってるよ」
君が大切にしてくれてるあの時の言葉に、僕は特別な気持ちを込めてはあげられなかったけれど。
ありがとうございます。
そう言った彼の言葉はあの時と同じように震えていて。
・・・・・・なぜか、本当になぜだか。僕の心まで同じように震えた。
「そろそろ・・・行ってくる」
時間の到来を感じたセーシスが
頭を下げたまま固まっているユーラムにそう告げると、
瞬時に我に返ったユーラムが少々挙動不審ながらも返事を返してくる。
「・・・はい。・・・・・・私などは言うことすらおこがましいかと存じますが・・・どうか、お気をつけて」
「うん、ありがとう。行ってくるね」
それに鷹揚に頷いてから扉へと向かう。
彼の視線が背を追ってくるのが分かった。
温かい。
それは皆から向けられるのと同じ、温かさで。
扉の一歩手前で立ち止まり、くるりと後ろを振り返る。
振り返った先で見た彼は、“いつも通り”の彼に戻っていた。
貴族然とした立ち居振る舞い。
嫌悪はなかった。
「怨みや憎しみも」
眼差しに声に、一瞬だけ目を閉じて心の在るがままを映す。
「僕は癒えると思うよ。……癒す切欠を君はちゃんとくれたから」
その時の彼の表情をきっと忘れることはないだろう。
どんな過去があっても関係はやり直せる。
そう教えられた、瞬間だったから。
たとえどんな時間が流れても、運んでくるのは別れや痛みだけじゃない。
彼を仲間にして、はじめてそれを感じることができた。
1.朝焼けまで、あと一時間
一日を想う10のお題より
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