GENSOU SUIKODENX









「王子お疲れ様です。今日はこのくらいにしておきましょう」
「これと…それに残りは明日でも大丈夫?」
「はい」
「そう。じゃあ今日はここで止めとこうかな」

言ってペンを置いたセーシスが生来の気質なのだろう――几帳面に書類の片付けをする。
その横でいつも通りの微笑を浮かべながら立っていたルクレティアは、
普段より疲れているように見えるセーシスの様子を敏感に感じ取って、わずかに眉を寄せた。
「疲れましたか?」と聞こうものなら鮮やかな笑みと共に否定を返し、
以降全く疲れた素振りなど見せなくなるようなこの軍の主はとてもやっかいで、
既に軍首脳部の中でその一言は禁句に近い。
今尋ねてもたぶん同じ反応を返してくるだけなのだろう。
王子のことを気遣って気遣って気遣い倒している護衛の少女の気持ちが少し分かるような気がして、
ルクレティアは“染まってきている”自分を意識した。


机の上の整理が終わり、立ち上がろうと椅子に手をあてたセーシスに声をかけて立ち上がるのをとめる。


「王子。ハーブティーを飲んでいきませんか?
今とても流行っているそうでレレイさんが買ってきてくれたんです」
「・・・・・・・・・・・・」
「飲むと安眠できるそうなので飲もうかと思ってたんですけど、やっぱり一人じゃ味気ないですし。
よかったらお付き合いしてくれると嬉しいんですけれど」


じっとルクレティアの顔を見ていたセーシスがふわりと笑う。


「うん。じゃあ誘われようかな」
「はい誘われちゃって下さい」








気を静めさせるような落ち着いた香りが部屋に充満し、さっぱりとした味が口当たりいい。
流行っている理由が分かるなとセーシスは思いながら、ルクレティアを見つめる。
ずっと――それこそ彼女を軍師に迎えた時からずっと、言おう言おうと思っていたことがあって、
今がそのチャンスだろうかと考える。
夜遅い…もう真夜中に近い時間だけれどあと僅かばかりなら大丈夫かなと一人で決めたはいいけれど少しだけ迷って、数十秒言いよどむ。

それでも決意したように、穏やかな沈黙の中でハーブティーを啜っていた軍師に呼びかける。

「ルクレティア」
「はい」
「言っておきたい――いや言っておくべきことがあるんだけど聞いてくれる?」
「なんでしょう」

真面目な顔をしたセーシスに向き合うように、カップを置いて居住まいを正したルクレティアに、
それを求めた当人が苦笑する。

「・・・・・・そう改められるとなんだか言いにくいな」
「そうですか?じゃあ気楽に聞きましょうか私」
「う〜ん・・・それも困るんだけどね」
僕が言っといてなんだけど、そう言って自分の矛盾した物言いに照れたようにして 一呼吸分おいてから、

セーシスはふっと眼差しを変えた。

この軍の人間が慕ってやまないファレナ王家の――否、ひとの上に立つ者の毅い目に。




「僕は貴方をとても優秀な軍師だと思ってる。
単純に勝利するためだけの策じゃなく、民や将を思い、
その思いから決して逸れることのない貴方の軍師としての能力をとても尊敬している。
そんな貴方から見たら僕は何も知らない、軍を率いる者として欠けている部分の目立つ人間なんだろうと 思う」

「王子。それは過ぎた謙遜ですよ」
自分を庇いもせず、わざと卑下しているようにも聞こえるセーシスの言葉に言い差す。
物事を正当に評価する能力に長ける軍師にそう言われて、
セーシスは密かに嬉しそうに、しかしどこか複雑な色を表した。

「…ありがとう。でもきっとこういうのは、たとえ他の誰が認めてくれても
自分だけは簡単にそれでよしと思えないものだから」
「分かりますけど、駄目です。王子は過剰なぐらいに、堂々と自分は正しいって顔をしていてもらわないと」
「それは理解してるよ。僕の気持ちが少しでも揺らいだら、この軍の存在意義まで揺らいでしまう」
「そうです。正義なんていう言葉は使いたくないですけど――、
あなたが自分の正しさを疑ったら、あなたの元に集った人たちの信じたものも間違っていることになります」

言葉にだけ厳しさを含ませ、いつもの柔らかな声でルクレティアは言った後、
「王子はしっかり理解されているようで安心しました」と笑い、
「これからも忘れないで下さいね」と釘を刺す。

「肝に命じておくよ」
絶妙なタイミングで言葉を重ねてきたルクレティアにセーシスは柔和な顔で、しかししっかりと頷いた。


「ところでルクレティア。話題を微妙に逸らしたね?」
「ふふふ。ほら、王子は自分に厳しすぎます。
目的を誤らないのは上に立つ者の特質――欠けてませんでしたね」
「…いや、今新たに欠けてるものを知った気がするよ」
「あら、それはきっと軍のリーダーには必要ないものだと思いますけど」

「話が逸れたけど……まあ言いたいこととは逸れてないんだけどね」
う〜ん…このあたりにもルクレティアの策略を感じると独り言ちたセーシスに、
白羽扇の向こうから確かな笑い声が聞こえて。
自分の推測の正しさを知り悔しさよりも、さすがだなぁと晴れやかな気持ちになる。
そんなルクレティアだからこそ言いたい――言うべき言葉でもあるのだ。

貴方には変わらず傍にいてほしい。
だからこそ――…。




「軍を指揮していく中で、僕を不安に思うことも不満に思うこともあるだろう思う。
でもそう思われていることをわかっていても、それでも僕は貴方を不安にさせるだろうし、
きっとこれからもそうだと思う」




「でも決して逃げたり目を背けたり、僕と同じ方を見て同じ思いを持ってくれる仲間やファレナの民に悖るようなことは絶対にしない。しないと誓う」



真摯な眼差しが深く深く胸をうつ。
「だから」。
そう言った声が僅かな緊張を孕んでいて、それが同じように胸をうって放さない。



「だから貴方には隣で――僕の一番近くから、この軍に手を貸して欲しい」








「…王子。その返事は最初に王子に会ったときにしたつもりでいたんですけど……もしかしてそれは私だけでした?」

悲しいです。と悲しげな表情を作りながらながら言うルクレティアに、
セーシスも困ったなぁという顔をつくりながら、

「でもルクレティア、裏切るかもしれませんよ?って言ったよね。
それって僕に、自分の求めるものとは違う可能性を見たってことだと思うんだけど」
「………………」
「だから、ね?」

確信犯的な色を湛えた目がルクレティアには「言ってたよね。前言っちゃってたよね。僕結構衝撃受けたし、自分の軍師になる人にそう言われてちょっとショックだったって言うか、信じてくれてなかったのが辛かったっていうか、今でもちょっと心に蟠りが……」なんたらかんたらと言っているように見えて一時沈黙する。


「………失敗ですね」
「珍しい…というか初めて聞くよその言葉」
「私も初めて言いました」

けろっと言ったルクレティアが口元に羽扇を押し当てるようにして軽く溜息をつく。

「あの時の私はどうかしてたんですかね。
王子のこともよく理解していたつもりだったんですけど―ほんとに“つもり”だったみたいです」
「僕が“変わった”のかもしれないよ」
「それは勿論。人は変わるものですから。善きにしろ悪きにしろ。
ただ王子に対して他と同じように“悪き”の可能性を見たのは私の落ち度だったと思います。
貴方にあの言葉を言う必要はありませんでしたね」

「そう?必要はあったと思うよ。少なくとも、貴方のことを一つは理解できたし。それに」
そこで言葉を句切って、照れを消すようにちらりとだけ視線を横へ外す。
「目標ができたしね」
「なんです?目標」



「『貴方と分かり合いたい』なって」



数回目を瞬かせたルクレティアが次いでふふふふと笑う。
「私も王子と分かり合いたいですよ」
「…よかった。じゃあ頑張ろうか」
「はい」

お互いに笑いあって頭を下げる。

「よしくお願いします王子」
「こちらこそ」


それが軍主と軍師のはじまりである。







9.真夜中の誓い  

一日を想う10のお題より