また明日――そう、別れ際に言った黒子はこれといった感情を乗せていない平坦な声だった。
まるで自分とは対照的。その滅多に崩れない落ち着きぶりは羨ましくもあり、テンションの違いが物足りなくもある。
ついさっきマジバの店先で別れるまで話題にしていた、東京選抜の強化練習。
最近の話のタネとなることが多かったそれも明日に迫り、人通りの多い歩道を歩く火神の気持ちは今も高ぶったままだ。
「楽しみにしすぎてまた寝れないんじゃないですか」と愉快げな(無表情だったけれど火神には何となく分かった)様子で言った黒子には反論したけれど、このままでは現実になりそうな予感がするぐらい帰路を歩く火神の心は高揚していて、なかなか治まりがつきそうもなかった。
ためしに今夜の献立を考えてみても、意識はちっとも強化練習のことからズレない。好物のことを考えても無駄だった。
まぁそれもしょうがないっつーか。
高揚するまま早足になっていた歩みを赤信号の前で止める。
直前に変わったばかりの信号に若干イラつく。
動いていないと落ち着かない、むしろ何かに追い立てられているかのような気になって、信号待ちすらできない自分を仕方がない、と納得させる。
そう、召集されたメンバーを考えれば火神がじっとしていられないのも無理はないのだ。
(いっそストバス場にでもいっちまうか)
じりじり身を焦がしながら突っ立っていた時に、ぽっと浮き出た考えは妙案に思えた。
この交差点を左に行った所にいつも使っているストバス場がある。
ちょうど信号待ちをしていることも、自分をそこに行かせようとしているとしか思えなくて。
一気に気分がよくなってすぐに進行方向を変える。
青信号の横断歩道へと踏み出そうとした一歩は、唐突に脳裡を過った声に引き留められた。

『分かっていると思いますが』

シェイクを手に持った黒子がイスに手をかけて座ろうとしている火神に向かって――それはさっきの、マジバでの会話の切欠となった一言。
『分かっていると思いますが、落ち着かないからとバスケや走り込みはだめですよ』
試合中、熱くなりすぎた火神を宥めるのと同じトーンで、黒子が言う。

…大人しく、両足を並べる。
大きく息を吐き出して落ち着く努力を開始した。

(あー…くっそ。分かってる分かってるって)

常々オーバーワークを注意されている火神はここにはいない相棒に向かって言い訳を並べながら、信号が青になるのを待ち、最初の目的通りの横断歩道をちゃんと渡った。
結構な交通量だというのにクラクションも聞こえない――日本に来たばかりの頃は違和感を感じた静けさも、今は気にならない。
それと同じ。
アメリカにいた時は個人主義の強かった火神も、誠凛でバスケをしてからは変わった。
自己責任だという言葉をもとに全てを決めるのではなく、自分を心配してくれる他人の言葉を受け入れることに抵抗がなくなった。
前なら絶対このまま練習に行ったよなと、自分の変化を実感しながら夜道を歩いた。
火神を変えたその中で、黒子の存在はとても大きい。
特に欠点――熱くなりすぎて周りが見えなくなった時、激情に支配されたような時、まるで火神を補うように黒子がそこにいる。
『火神くん』そう呼ばう声はいつだって水のように心に沁み、荒れ狂うような波をすぐに細波に変えてしまう。
二年も相棒をしていればそういうものかもしれない。
秀徳コンビ――火神が知っているもう一組の相棒同士のやり取りを思い出すと、なんだかんだ言いながら彼らも確かにお互いを支えあっているように感じる。


人通りの多い道を抜け、それほど広くない歩道をゆっくり歩いている時だった。
少し先の曲がり角から、周囲に比べて頭一つ飛び出た影が現れて、そしていきなり立ち止まった。
最初は気に留めなかった火神だが一歩二歩と近づく間もそこに突っ立ったままの影に、デカいくせに邪魔なヤツと思い、ちらっと顔を見やった。
長身の男はなぜか刺すような強さで眼鏡の奥から火神を睨んでいる。
「・・・・・・?」
遅れること数秒。
自分より数センチ高い所からなぜか睨んでくるその男が、同じ選抜メンバーとして明日顔を合わす予定の緑間であることにやっと火神は気が付いた。
ちらりと思い出していたこともありなかなかタイムリーだなと思いながら、無視するわけにもいかずに足を止める。
無言で対峙するでかい男二人を避けるようにして仕事帰りだろうサラリーマンがすれ違っていく。

「・・・かに座は今日最下位だったのだよ」

眼光を緩めないまま緑間が言った。
「は?」と返す以外にない。
過去の付き合いや黒子からの話で緑間のおは朝信者ぶりは知っていても、だから何が言いたいのか理解できるはずもなく。
周囲を見回してみても翻訳機に使えそうな高尾や他のキセキ――あたり前だが黒子の姿もない。

「予感はしていたが嫌なものだ」
「はぁ?」

同じ言葉が今度は少し強くなって口から出た。

「やはり全色揃えておくべきだったか。人事を尽くさないからこういうことになるのだよ」
「・・・行っていいか」

一人で言葉を繋げて会話する気が皆無な目の前の男に言う。
言うだけじゃなく実際に一歩を踏み出した火神を、落ち着いた声で強く押し留めたのは緑間だった。

「待て」

なんとなく抗い難い何かを感じ、仕方なく足を止める。
「なんだよ。一人でごちゃごちゃ言ってんなら俺は行くぜ」
言いながら睨み返せば、鋭かった視線がふいと逸らされ道の上に落ちた。
あれだけ強く制止しながらの迷うような動作に訝しがる前。
緑間はすぐ横の公園を見た。くいと示されるのを追って視線をずらす。

「少し時間はあるか」

話がある、そう言った緑間に驚く。
珍しいを通り越してはじめてのことじゃないだろうか。
しかもわざわざ場所を変えてまでというのも気になった。
咄嗟に頷くと、先に緑間が動いた。
先導して歩く背についていきながら、火神は何とも言えない奇妙さを感じていた。




入り口から少し入った所の木製の柵に寄りかかり腕を組んだ緑間を、尊大な態度だなと思いながら、まぁいつもの事かと考え直して適度に離れた場所にあったベンチにどさりと荷物を置き、ついでに座る。
点々と立っている外灯だけが光源で夜の公園は暗い。
加えてとてつもなく静かだ。
音といえばせいぜい車の走る騒音が離れた位置から聞こえてくるぐらい。
そんな場所に男二人が同じ空間にいる寒々しさを感じてしまうぐらいの時間、自分から誘ったはずの緑間は無言なままだった。
ようやく話し出したのは火神が焦れる寸前だ。

「・・・明日の選抜練習。お前も参加するのだろう?」

どんな大事から思ったらそれかよ。
緑間の言葉に肩から力が抜ける。
さすがに豪胆と言われる火神でも意味深な言動を見せられて身構えずにいられるわけがない。
皆目検討もつかなかった話の内容が選抜に関係することらしいと分かり、気が抜けた。
というか肝心なのは選抜のことですらないんだろう。
「当たり前だ。なんだよ?だったら何かあんのか」
思った火神は当たっていた。

「では青峰と黒子――あの二人の連携を見たことは?」

緑間が選抜の話ときてキセキ関連のことじゃない可能性なんてゼロに等しい。
そんな火神の考えは外れることがなかった。

青峰と黒子。

そこかと思いつつ短く否定の言葉を返した。
「ねーよ」
「ストバスでも?」
「ねーよ・・・あ、いや。一回か二回、少しなら見たことある気がする」
「フルコートではないんだな?」
ああと頷く。

「そうか」

穏やかにも冷酷にも優しげにも――憐れみにも聞こえる声がやけに耳に残った。
その声のまま緑間が言う。

「ならばやはり忠告をしておいてやる。お前と遭遇したのはそういうことなのだろう」

「忠告?」
聞き返した火神を見ないまま、静かな公園に緑間の声だけが響く。

「お前は覚悟をしておいた方がいい。今回の練習中必ずあの二人が連携する場面がある。見てしまえばもう、以前のお前たちには戻れないのだよ」

お前が、

「もうずっと連携していなかったとはいえ、劣化しているとは到底思えん。生半可な覚悟でいけば呑まれるぞ」

言いたいのはそれか。



青峰と黒子――。
この二人がお互いにとって、あるいはキセキのやつらにとって、大きな存在であることは知っている。
去年一年で嫌というほど知った。
青峰の圧倒的な強さや、影であった黒子への執着、そしてバスケ馬鹿な本質であったり。
プレイヤーとして異質な黒子の能力、かつての相棒に向ける思いや、過去や、バスケへの向かい合い方のその意味だったり。
それぞれがお互いの深い所に居場所をもっていて、
誰も踏み込めないだろう場所にお互いを置いている。
二人とも違った意味でキセキの軸であり、
光と影の原点ともいうべき特別な。

それが火神から見た青峰と黒子だった。



「で?だからなんだ」
「お前・・・」
言葉を切った緑間は驚いた顔をしていた。
そんな返しをされるなんて思ってもみなかったってか。
思って若干イラっとくる。
「黒子と青峰のコンビがすごかったてのは知ってる。噂も聞いたことあるし、すごかったって今でも黄瀬とかアピールしてくるし」
「・・・・・・」
「でもだからって何が変わるわけでもねーだろ。あいつらはあいつら、俺たちは俺たち。関係なくねぇ?」
言い切った。
角度が変わったのか、眼鏡の影になって表情は見えない。
もともと大した明るさのない園内なので、そうなってしまえば相手の反応は全く掴めなくなる。
少しの沈黙のあと、ギっと柵の鳴る音とともに盛大な溜息が聞こえた。
わざとらしい程の深い溜息を吐いてから緑間が鼻で嫌味っぽく笑う。

「単純バカはこれだから」
「むかつく言い方すんな!」
「人の親切を素直に受け取ればいいものを」
「よけーな世話だ」

心の底から思って苦く言う。
二人の連携は確かにすごいのだろう。今もすごいのだと予想がつく。
同時にだからなんだと思う。

「俺は黒子との連携を軽いもんだと思ったことはない。誰かと比べるもんだとも思わない」

強く言った火神に「正論だな」という真面目な頷きが返ってきて思わずツッコミをしてしまう。
「おい!?」
言ってることちがくねーかという言葉は省略しても伝わらないはずがないのに、緑間真太郎という男は火神にとってやはりわけが分からない男だった。

「俺はお前たちのことも欠片程度には認めてやっていないこともないではないのだよ」
「どっちだよ!その前もわけわかんねぇよ簡単に言え」
「忘れるなよ」
「・・・・・・」

最早絶句である。
俺も会話放棄していいかと本気で思った。

「・・・お前、実は黒子と似てるよな。その好き勝手に話進めるとことか」
たまに同じようなやり取りをするはめになる相棒との会話を思い出しながら言えば、テーピングのせいで暗闇で目だって見える指がくいっと眼鏡の縁を持ち上げた。
「ふん。そんな言われをするとは不本意なのだよ」
「いや微妙に嬉しそうなの隠せてねーから」
「黙れ」
ぴしゃりと言われても照れ隠しにしか聞こえない。
照れているのを見られたりからかわれたりが大の苦手らしい緑間は途端に柵から身を起こし、さっと背を向けた。
逃亡に慣れている一瞬の早業だ。――おそらく慣れざるを得なかったんだろうな高尾のせいでと思って火神は少しだけ同情した。

「とにかく。・・・さっきの自分の言葉、忘れるなよ」

言って、長身はさっさと歩き出した。
「・・・・・・・・・」
言い置いていかれても結局何がなんだかよく分からない。
かみ合っていない会話だったな、が正直一番の感想で、一人残された火神は結局何がなんだかよく分からなかった一連のやり取りを反芻し、理解することを諦めた。
転々とした話を理解するなんて荷が重い。どうせ頭がパンクするのは目に見えているので無駄なことはやらないと決め、取りあえず忠告らしいものだけは心に留めておく。
遠ざかっていく背中が見えなくなる前に立ち上がり、バックを肩にかける。
そして歩道に入り左に曲がった緑間とは逆、右へと曲がったあと。
晩飯はとりあえず肉食おうと改めて考えながら家路を歩いた。



















青峰をコートの上で自由にする、それがどれ程のことなのか分かっていない。
ディフェンス不可能のスコアラーとまで呼ばれる青峰との連携。
好き勝手な緩急に対応し、型さえないシュートモーションとのタイミングを計り、縦横無尽にパスを繋げる。
――その意味をあの男は全然分かっていない。


「・・・お前は帝光の光と影を見たことがないからそう言えるのだよ」
苦しげに吐き出された言葉は誰にも届くことなく雑踏に紛れた。








【1.かつて通った道】