午後はどの程度連携がとれるか試合形式で確認する――そんなコーチ陣の伝達の後、解散となった十数人は体育館内から思い思いに散っていった。
真夏の体育館は想像を絶する暑さであるが、雲ひとつない晴天の下ではそれでも外のほうが暑くみえる。
粗方汗を拭き、水飲み場から戻る途中で開け放たれた扉越しに見る外の様子に、自分の生命力(しかも練習によって残り少なくなっている)を吸い取られるような心地がして屋外に出ることは瞬時に諦めた。
家から持ってきた弁当を取りに行ってから、体育館の入り口をくぐった所でどうしようかと考える――前に、座っていて尚大きな図体と鮮やかな赤髪が目に入ってくる。
菓子パンを積み上げた彼は見事に数少ない風通りのいい涼しげな場所をキープし、しかも回りの食欲を減退させるという特殊能力持ちのおかげで一定間隔距離をとられていた。
遠巻きからのいくつかの視線はありえないものを見ているかのよう。
くすりと笑ってから、近付いた。
恩恵に預かって、風がよく当たるベストポジションを手に入れる。
その様子をちらりと見やってから、特に気にした風でもない火神はそのままパンを胃袋へおさめる作業へ戻ったので、黒子もそこへ落ち着き、食事をすることに専念した。

しばらくして――火神が大量のパンの最後の一個の袋を開け、弁当の三分の一を残して黒子の箸が止まりかけた頃。
休憩中姿を見せなった青峰が入り口からひょいと現れた。
辺りを見回す目と黒子の向けた視線がばちりと合う。
片眉を跳ね上げた青峰が大股で歩き出し、手前側にいる火神をスルーしてそのまま隣まで。
乱暴な勢いですぐ近くに座った青峰を「どこに行っていたんですか?」という声で迎えた。
米神や首筋から流れる汗の量はどう見てもクールダウンも兼ねた昼休みに相応しくなく、かけた言葉には諌めるような響きを存分に含めた。
とりあえず黒子が隣に置いていたタオルを差し出すと素直な手がそれを奪っていく。
「あー・・・ちょっとそこら辺?身体動かしてた」
「何やっているんですかキミは」
体育館にいなかったのだから炎天下の外で、しかも休憩中に休まないのはオーバーワークにも程がある。
言っても青峰はどこ拭く風状態なのは分かっているので言葉を重ねることはしなかった。
ただ食事用の冷えたお茶が入った水筒を胡坐をかいた足に押し付けて、黒子は自分の食事に戻る。
小さな区切りの中に二つ並んだ卵焼きはいつもなら好きな部類なはずが、こうも暑いとその甘さが口の中に残るのがなんとなく不快で食べる気が起きない。
むしろ他も手をつける気がしなくて、口と弁当箱を往復するスピードは限りなく遅い。
一口、二口と食べ進めてから、もう無理だと諦めた。
食事に関してだけ黒子の諦めはとても潔い。
早々に諦めることにした黒子が箸をケースにしまおうとした時、ひょいと覗き込む顔があった。
「いらねーんならくれ」
「どうぞ。というか、キミちゃんとご飯食べました?」
青峰の方へと少し手を寄せれば、食ったよと返事をしながら綺麗に焼かれた卵焼きを摘んで一口で口の中へ消す。
そういえば顔に似合わず味覚が子供っぽい青峰は定番的なものが好きだった。
昔を思い出しながら今も変わっていないと、そんなことを思ったのは黒子だけではなかったようで少しくすぐったいものを感じた。
「相変わらずテツのかーちゃん料理うめぇな」
「伝えておきます」
「なのに残すのは今もかよ」
「それでもほら。こんなに食べました」
黒子の自信を持った主張に返ってきたのはデコピンだった。
痛いですと呟いて額を押さえていると、左手で持っていた弁当箱としまいかけの箸を奪われ、残り三分の一は青峰の胃袋におさまることが決定した。
が、残っていたもう一つの卵焼きは強制的に食べさせられる羽目になった。もぐもぐと口を動かしながら青峰がずいっと卵焼きを押し付ける。
げんなりとした気配をまとう黒子の口の中へ構わず入れてしまう。
「………」
ボクの食事はもう終わったんですが。言うのは我慢した。
倍の時間をかけて咀嚼したあと、大分減って軽くなった水筒からお茶を注ぐ。
カップを両手で持ちちびちび飲みながら食べる様子を眺めていると、いきなり肩に重みがかかった。
「…!?」
そのせいでお茶が器の中で大きく揺れる。ちびちび飲んでいたせいで中身はそれほど減っていないのでギリギリだ。
黒子が振り返ればごめーんと軽く(でも本心から思っているだろうことはなんとなく分かる)謝った高尾の姿がある。
「こぼれなかった?」
「はい大丈夫です」
ならよかったと言った高尾はそのまま黒子のほぼ正面――並んでいる黒子と青峰の中間辺りの位置に座り込んだ。

用でしょうかと内心で首を傾げる。
入ってきた時は向こうの方で秀徳メンバーと一緒にいたはずと思い対向線上を見ると、我関せずというかのように誰一人こっちを見ている人間はいなかった。
緑間に至っては完璧に背を向け、わずかほども視界に入らないようにしているのが逆に高尾がなぜこっちに来たのか知っているんだなと黒子に思わせる。
目を上へ向ければ壁面にはちょうど大きな壁掛け時計。
時刻は12:30を少し過ぎた所を指していて、準備の時間も合わせればそれほど余裕はないなと考え、そうしている間に会話は高尾によって既に始められており、前振りは過ぎ主題に入りかかっていた。

「俺さー帝光中の光と影って実際見たことないんだよね」
そうですかという黒子の相槌に、すうっと目を細めた高尾が軽い口調で聞く。
「ぶっちゃけ当事者としてはどうなの?やっぱ他とは全然違うもん?」
隣に青峰がいて、聞こえる範囲内に火神がいて、その中で聞くとは。
本当に胆の据わった人ですねと黒子は思った。
聞かれている側の黒子は特にどうということはないが、こういうのは聞く側が相当な神経を使うだろう。
それでも上手くやる自信と実際に秀でた話術があるからこそできることだと思うと、高尾のコミュニケーション能力がなかなか羨ましくなる。
「どうしてそんなこと聞くんです?」
「ただの興味?っつーか」
「そんなに気になるものでしょうか」
疑問をぶつけながら合間合間に飲んでいた空になったカップを床に置くと、水筒とともに連れさらわれた。
「いや真ちゃんがバリバリ意識してっからさ。どんなもんかと思うじゃん」
代わりにちゃんと布に包まれた状態になった弁当箱が返ってきたのを目の端が捉える。
それにどこか嬉しさを感じている自分を黒子は自覚した。
いろんな意味で変わったけれど、どんな意味でも青峰は変わっていない。
「他と違うか、ですか…」
そんなことを思いながら、答えるべく青峰と過ごした時の記憶を探ってみる。
しかし結論は、
「特にどう、ということはありません」
というものだった。
すぐに「えー」と反応した高尾が次に口を開く前に言葉を重ねる。
「というかあまり思考していた、という記憶がないので他と比べてどうという認識を持ちようがないです」
面白味のない答えな上、そう言われてしまえば追求するのも難しい。
質問から逃げたわけではないけれど高尾からしてみれば進めにくい答えだろう。
ターゲットはちょうどお茶を飲み干した所だった青峰に変わった。
「じゃあ青峰は?」
「あー?別に」
ぱっと顔を向けて聞いた高尾に、間髪を入れずにすげなく言う。
絶対何を聞かれたか理解していないままの、全く答える気のない即答。
しかも蓋をしめた水筒を並べて置いたあと、
「テツ、時間になったら起こして」
そう言って大きな身体を横たえ寝の姿勢に入った。
誰にも捕らわれず自由に生きる青峰なので、本当に寝たかったにしろ答えるのが面倒だったにしろ、こうなってしまえば聞きだせる可能性はゼロだ。
特に接点があるわけではない高尾もそれは勘で分かるのかもしれない。
早々に諦めて視線をまた黒子に視線を向けた。
「ちぇー。結局分からないままなんだけど」
「すみません。・・・違った視点での質問ならボクの答えも変わるかもしれないですが」
あまり表情の動かない黒子とは違い、感情を豊かに表現する高尾は詰まらなそうな顔もちゃんと表に見せる。
感情を伝えることを怖れたり誤魔化したり飾ったりしない、そういう在り方をする、できる強さに黒子は好感を持っている。
「うーん・・・でも、いいわ。“他と違うのか”午後確かめられるだろうし」
「そうしてもらえると助かります。言葉は難しいので」
「黒子のそーいうトコいいよな」
「なんです突然変なこと」
「んー。黒子の何にでも真摯っつーか誠実なとこ?俺好きよ」
「ボクも高尾くんの、人を真っ直ぐに見るその目がすごく好きです」
軽い口調の裏にあるのが本心だって、分かるような言い方を高尾はいつも、誰にでもする。
だから言われた言葉が嬉しくて、お礼のように黒子の中身も外側もちゃんと『見て』くれるその目がとても好きですと言えば、
わずかに固まってからちょっと困った顔をされた。
「・・・真面目な顔して言わないでくれる?」
「生憎ボクの顔の標準装備は滅多にしか変わらないんです」
返しが面白かったのか、ははっと笑った高尾が真面目顔以外はどんだけレアなの?と興味津々に聞き。
そうですね、と腕を組んで考える仕草をした黒子が、やはり真面目な顔なので益々笑いが深くなっていく。
休憩時間が終わる頃まで途切れることなく話が続いた二人は、連絡先を交換するぐらいお互いに対しての距離が狭まっていった。













携帯を耳に当てて扉から出ていく背中を目で追いながら、落ち着かない気持ちを持て余す。
得体のしれない帝光の光と影の関係を垣間見た気がした。

高尾が黒子と話しているとやはり接点がそうなので、自然と話題はバスケのことへと移っていく。
その中で、彼から見たキセキの世代、というのもなかなか気になるテーマだったのでチャンスを逃さずに聞いてみた時のことだ。
あれより強い青峰とかどんだけなんだよと思わず言った高尾に黒子はきょとんとした顔を返した。
本人の自己申告によるならば表情が変わるのは『滅多なこと』がなければいけないらしいので、黒子にそれほどの驚きを与えたことに高尾の方こそ吃驚した。
『え?』
『え。俺こそえ?なんだけど。なんでちょっと驚いた顔してんの?』
『・・・もしかしてボクと組んだ青峰くんがさらに強くなる、とかそんな意味で言いました?』
一瞬で標準装備に戻った黒子が凡庸に見つめてくる。
『それは誤解です。青峰くんは彼自身だけで強い人ですから、ボクが補って強くするなんてことはないんですよ。ボールを奪ってかわして得点するまでを一人でもできる。誰にも止められない』
全くの普段通りに『本来ボクは必要ありません』ときっぱり言い切られてぞわりと背筋が泡立った。
必要とされていない、分かっていてどうしてと思う。
それをそのまま口にしてから、あ、マズいと内心毒づいた。黒子は一度本当に必要とされなくなっている。
言葉にしてからぎくりとして、しかしそれは杞憂に終わった。
黒子はほわりと、小さく笑っていた。
『楽しいから・・・でしょうか。楽しいという気持ちはずっとあるんです』
他に何を考えていたか思い出せないのにそれだけはいつも。
必要とされていない相手と連携する理由を黒子はただ楽しいからだと言った。
そして意味を図りかねて黙った高尾を不思議そうに見る。
ヤばいものに触れた、一瞬そんな言葉が頭を過った。

その時黒子の手元の携帯が鳴って、発信元(母親らしい)を確かめた彼は話の途中にすみませんと言ってから場を離れていった。
時間も時間なのでそのまま準備に行くつもりなんだろう。
立つ際に青峰の頭を軽く叩き起こしていくことも忘れない。
開放された気になって、いつの間にか緊張していた身体から力を抜いた。
それでもなんとなく落ち着かないままだ。

だから心に引っかかっていたことを口に出してみた。


「・・・なぁ、さっき『思考していた記憶がない』って黒子言ったよな?」

さすがに熟睡していたわけもなく、すでに目を開けて、のそりと――テレビで見たことのある野生動物が気だるげに起き上がったような動作で青峰が身を起こして。
片膝をたてて座わり時計を見ていた。
それに向かって言った。
青峰の視線がゆっくりと動く。

「それでアンタとの連携ってできるもんなの?」

見られただけ。
ただ視線が動いてこっちを見ただけだった。
それだけに気圧される。
向かい合った青峰には、まるで試合中のような獰猛さがすでにあって。
身構えることなどしていなかった高尾を、刈り取るものの目で強く射抜いた。

「知らねぇよ。テツのことはテツに聞け」

言い捨てて立ち上がる。

火神とすれ違う背中には沸き立つような闘志が見えた。
ふと直感する。
朝に見た黒子とのやり取り。
午前中の淡々と練習をこなす姿。
休憩直後に消え、遅れて入ってきた長身。
射竦めんばかりの眼光。
フロアに横になった青峰は、眠るというよりむしろ――。



予感が、した。













【2.水面下】