「さて……テツヤ」
ことり、と切子を置いた赤司が重苦しく言葉を発したのを合図に、それぞれの本気の努力によってなんとか場を繋げていた上滑りしかしていない会話をやめて面々が口を閉ざす。
一時間近く変な緊張と中身のない会話を続けていたかつてキセキの世代と呼ばれた男たちは、居心地の悪さから解放されて助かったような、しかしこれから明らかにされるだろう現実が恐ろしいような、そんな複雑な気持ちでもって黒子を見た。
広々とした個室内に多数の人間がいるとは思えない静寂が漂ったが、その原因ともいえる黒子は周囲の空気を察しているのかいないのか全く窺わせない無表情で手に持ったグラスに口をつけている。
少しずつ、時間をかけて飲むのに適したロック。カラン、という涼しげな音をさせながら揺れるグラスには店の格に見合っただけの高級さを感じさせる厚みがあり、持ち主の手首の華奢さとの対比が圧倒的にミスマッチだった。見ている面々にとっては違和感しか感じないものを持ち、しかも中身なんてさらに予想だにしていなかった泡盛である――を黒子はさっきから淡々と口にし続けている。
この場にいる誰よりも性格的に男らしいといえる黒子には確かにある意味合ってはいても、「泡盛を。ロックで」との言葉にまわりが「………」となったぐらいには黒子と泡盛いささかイコールで結びにくい。
というかむしろ約二年ぶりに再会したキセキの面々は黒子が酒豪だということを知らなかった。
最後に会ったのは全員が成人し終わった記念すべき一月、その時に彼らははじめて飲酒する黒子を見ることになったが今の片鱗は存在せず、ビールを飲んでは「苦いです」と言い、赤司に勧められるまま口にした日本酒の甘くないのに甘いとしか形容できない飲み口に「変な感じです」とつぶやいたような、どちらかというと酒が苦手そうな雰囲気すらあった。
お酒ダメな黒子っち可愛いっス!と内心で思っていたのは何も黄瀬だけではない。
そんな可愛かったはずの存在が、いまは飲み始めてから一時間ほどの間に日本酒を飲み焼酎を飲みさらにワインを飲み干した末の、泡盛。
ワインの時点で眉をひそめ身体によくないと注意した緑間は「ボクそういうの大丈夫なタイプなんです」という一言に封じ込めらた上、「それにどれも気になってしまって一つに絞りきれません」なんてまさかの酒好き発言に「そ、そうか…」と言うしかなくなった。
いわゆるチャンポン、いつの間に注文しているのか見る度に乾くことのないグラスを手にしている黒子は既に結構な量を飲んでいるだろうに白い面には赤味すらさしていない。
正真正銘の酒豪であった。
しかし明らかになったその事実にも負けず劣らず、誰の目にも明らかな大きな変化が黒子には起こっていた。
「テツヤ。いったい何があったんだい?」
何かを耐えるように重く、苦々しげに言われた言葉は全員の代弁でもある。
ぴいんと張りつめた空気の中、ぱちりと瞬いた目が感情をのせないまま赤司を見て、それから以前のまま何も変わっていない平坦な声で言った。
「何がとは、いったい?」
――何がってそんなの。
その、いつの間にかハイセンスへと方向転換してるファッションとか。と黄瀬が思い、
その、両耳で主張しまくっているピアスとかなのだよ。と緑間が思い、
その、淡く香る人工的な匂いとかー。と紫原が思い、
何よりその、肩を通り越してる長い髪はなんだ。と赤司が思い、
むしろ全部何がどうしてそうなった!?、と青峰が思った。
【オレのテツが行方不明!】
ほとんど連絡を取り合うことなく約二年。
卒業が迫る大学四年の冬――一月も終盤に差し掛かったその日、近状報告を兼ねて食事会をセッティングしたのは赤司だった。
『久しぶりに皆で会おう』
二年と言う長い年月会うことなく過ごしていたにしては軽くまとめらた誘いのメールに、受け取ったキセキたちは何の疑問も感じることなく諾と返事をした。
誰もがそのメンバーで集まるということは特別なことじゃないごく自然な、むしろ日常の一部だという感覚を持っていたし他の面々も同じ気持ちだろうことを確信として持っていた。
それは例えどれだけ離れていようが、どれほどの年月が経とうが変わらないはずで、中学時代に結ばれ、別れを経てもう一度繋ぎ直した絆は不変なものだという思いは全員の胸にある。
それを証明するかのように、返ってくる快諾ばかりのメールを読んで赤司は微笑み、自分たちの繋がりの強さを実感したものだった。
大学の途中でアメリカへと渡った青峰、医学の道を進んでいる緑間、専門学校を卒業しパティシエになるべく修行している紫原、本格的に芸能界へ転身した黄瀬、教師になるべく勉学に励む黒子、そして家業を継ぐために必要な幅広い知識を修めることに全力を注ぐ赤司。
それぞれが違う場所で多忙な日々を極め、例え短いメールのやり取りすらも疎遠となっていても心は共にあり、互いの良き一番の理解者であるという自負を持っていた。
…持っていたはずだった。
それがどうして。
テーブルいっぱいに所狭しと並んだ料理のことも忘れ去られ、口を挟む隙すらない応酬を他の四人が見守る中で問答が続く。
最初は重苦しく且つ悩ましげに問いかけていた赤司だったが、埒のあかない会話に苛立ちどんどんヒートアップしていくのに対し、黒子はまるでニュートラル。以前から変わらない平坦な表情と声で返事をしながら、ちびりちびりとグラスを傾けている。
少量ずつ舐めるようにして飲む様子は記憶の中、バニラシェイクをゆっくりゆっくり啜る仕草ととても似ていた。
なのに。
キセキたちの目にうつる全てが以前と異なりすぎている。
「ではもう順にいこう。何か、僕に言っていない重大なことがあったんじゃないかい?」
「いいえ」
「…なら悩みや困ったことは。あるだろう?」
「これといってないです」
「何かに巻き込まれたとか」
「君じゃあるまいし」
「意に沿わない関係を強要されているとか」
「…何の話です?」
「隠す必要はない。テツヤ、どんなアバズレにひっかかった?名前を言え今すぐ排除してやる…!」
バン!と天板を叩き、ついに赤司が声を荒げる。
口を挟まない他の面々も厳しい顔をしている中、黒子だけがローテンションのままだ。
「わけの分からない勘違いはやめてください」
「だったらどうしたというんだい!?そんな…髪も伸ばして!」
「無精をしてたら伸びました」
「だったら切ってきなさい!」
「意外と好評だったので」
「悪い友人をつくるんじゃない!」
「交友関係はボクの勝手です」
「教師になるんだろう?だったらそんなチャラチャラした格好はやめるべきだ」
「いえ免許をとっただけです」
衝撃を受けたように息を飲み、え?という疑問符を言葉にしたのは一人だけはなかった。
「教師に、ならない?では……ほかにやりたいことでもあるのかい?」
「いえ特に」
「……じゃあ企業に就職を?」
大学の卒業はもう間近に迫っている今、そう問いかける声に隠し切れない焦燥のようなものが表れるのは当たり前だ。
黒子は卒業後のことなんてとっくに決めているはずなのに、何も聞かされていないことに赤司が焦る。他の顔を見回しても皆一様に首を横に振るばかりだった。
何も言ってこなかった。
だからこそ全員、黒子は前に言っていた通り教職につくものだと思っていたのに、彼は教師にはならないと言う。
「赤司くん」
一息ついて、黒子は重々しく言った。
まるで諭すかのように。
「ボクは頑張ったり努力し続けたりすることだけが人生じゃないと気付いたんです」
「ぼ…ぼくのテツヤがグレた…だと」
部屋の中から全ての音源が消えた。
またカラン、と涼しげな音をさせながらちびりとグラスを舐める黒子だけが、部屋の中でひたすらに自由だった。
無音となった周囲に構わず、自分が今どれだけ充実しているかそして現状に満足し有意義に過ごしているかをすらすらと語ったあと、「なので取りあえずこのままでいいかなぁと」なんて付け足すことすらしてみせる。
それは一言で言えばまさかのニート発言。
赤司が放心したように目を見開いたまま固まり、黙って二人のやりとりを見守っていた他の四人も無言のまましばし固まった。
現実が信じられない。
だってあの、黒子テツヤがまさかのニート発言。
それだけでも信じられないというのに、彼の口から頑張りや努力を否定するかのような言葉がでるなんて。
そんなことは100%有り得ない、まだ明日隕石が落ちて人類は滅亡しますと言われた方が説得力のあるぐらい、キセキたちにとって黒子の発言は有り得ないものだった。
黒子テツヤという人物を語る時の要ともいうべき、そうそう他人が真似できないレベルで行われる努力や挫けても諦めないという頑張りが彼から失われる日がくるなんてそんなことが本当に現実なのか。
どうして。
なんで。
いつから。
各々の頭の中にそんな問いかけが駆け巡ったが答えられる者は残念ながらいなかった。
二年もの間、キセキたちはほとんど互いに連絡をとっていない。もちろん黒子とも。
連絡をするにしてもメールで、短いやりとりを数回しただけだ。
そしてだからこそ、今日久しぶりに黒子に会った時から既に皆して絶句することになった。
『『『『『…………』』』』』
『…人を凝視してどうかしましたか?』
『………黒子っち、っスか?』
『キミの目には他の誰かに見えるんですか』
驚いて言葉もないキセキたちの中で、唯一黄瀬が恐る恐るといった体で聞いたその先。
細身に沿った黒いロングコートを纏い、肌触りのよさそうなミルク色のマフラーで口元を覆った黒子は障子戸の向こうに立って肩過ぎまでの長い髪をさらりと揺らしながら首を傾げた。
垢抜けたファッション、長い髪、片側だけ露出した耳には二つのピアスが鈍く光っていて全体的な雰囲気すら覚えているものとかけ離れていて、皆その大きく変わった姿かたちに驚いた。
何があったんだ?という問いかけはそれに対してのものだったというのに。
聞けば聞くほど納得する所か、内面までも大きく変わってしまったらしいことを突きつけられる事態となった。
一番最初に復活した緑間が「本当に何があったのだよ黒子ぉおおぉぉぉおおおお」とテーブル越しに華奢な肩を掴んでガクガクと揺さぶっても、黒子の返事は一向に変化しない。
「特に何もありません」と声と身体を揺らがせながら成すがままになっているのを見ながら、キャパオーバーしたキセキたちは単純に思った。
黒子に悪い虫がついたに違いない。
きっとそう。
いやそれしか考えられない。
そうと決まっている…!
じゃなければ黒子がこんな風になってしまうはずがないという結論に達したキセキたちはアイコンタクトで頷き合い、攻めの方向性を転換した。
「黒子っち、髪長いのも似合ってるっスけど俺はやっぱり短い方が黒子っちらしいと思うな」
「そうですか。考えておきます」
「今鋏あるから切っちゃえば?はい」
「あ俺に任せて!こういうの上手いっスよ!」
「黄瀬くん髪引っ張るのやめてもらっていいですか」
「えー…切っちゃおうよ」
「気が向いたら切るので結構です」
「…なんなの黒ちん俺たちより他のヤツの言うこと優先すんの」
「そういうことではありません」
「……。黒子っち、服とかも誰かの影響っスか?」
「そうといえばそうです。バイトが接客業なのでそれなりに気を遣いますし、アドバイスを貰ったら取り入れたりしています」
「なんのバイトをしているのだよ」
「飲み屋でカウンターを」
「!!夜の仕事なんてテツヤに相応しくない…!」
グレた原因はそれだ!とばかりに鋭く言った赤司を黒子が淡々と切って捨てる。
「変な表現はやめてください。健全なバイトです」
「だが昼夜逆転の生活など不健全なのだよ」
「もともと夜型なので問題ありません。むしろ有意義かと」
「しかしそういう店で働けば受動喫煙せずにいられないのだよ。見過ごせんな」
「ボクも吸うので気にならないです」
ズガーンという効果音を背負いながら黄瀬が泣きそうな顔になった。
「い、いつからっスか」
「さぁ…?結構前からじゃないでしょうか」
「黒子っちがタバコとか…!吸ってるとことか想像するだけでかっこいいっスけどだめ!だめっス!ああぁぁああ黒子っちが穢れるうぅぅうううう」
「それでいくならもうとっくに穢れきってます」
「いやああああぁあぁぁぁぁぁぁああ」
「黄瀬くんうるさい」
間髪を入れない素気無い一言に「あ、そんなとこは黒子っちのままっス!」と一瞬で表情を変えてにこにこ嬉しげに笑った黄瀬の隣、移動してきた紫原が黒子との間に身体をねじ込む。
梃子でも動こうとしなかった黄瀬の変わりに黒子が大きく横にずれる。
空気がふわりと動く。
そうして個室に入ってきた時にほのかに流れてきのと同じた香りが少しだけ広がると、食べ物やアルコールの匂いの充満する室内でも鼻のいい紫原にはそのかすかな香りにも気付けてしまう。
「ねぇねぇ黒ちん香水つけてるでしょ」
「強くならないよう気を付けたんですが分かりますか?」
「別にそこまでじゃないしー変でもないし。でも黒ちんには合わないと思う」
「すみません煙草臭いよりはいいかと思いまして。ですがやっぱり食事の時につけるものではありませんでしたね」
「んーそれはいいんだけど…そういうの全部誰かの影響なんじゃないの?なんかすげぇヤだ」
「ケータイ、会った時から着信しっぱなしっスよね?何回も光ってる」
「大学の友人か?バイトでの知人か?交友関係が広いのは悪くないが相手は選ぶべきなのだよ」
「テツヤお父さんは許しませんよ」
「…………言いたいことはいろいろありますが。とりあえず赤司くん、君はボクの父ではありません」
「ぼ…ぼくのテツヤが反抗期…だと」
「大輝。黙ってないでお前からも何か言ってやってくれ」
あざといまでに深い悲哀を全身で表現しながら、ずっと黙ったままの青峰に向かって赤司が言う。
このメンバーの中で誰よりも黒子と強い繋がりのある青峰の言葉なら、黒子の反応も何かしら変わってくるかもしれないという希望を持ってのことだった。
が、残念なことにオレのテツが行方不明すぎてついていけずにいる青峰には黒子に言うべき言葉なんて見つからない。
視線をやった全員が「あ、これは役にたたねーわ」と思ったぐらい目に見えて青峰は動揺していた。
つられてちらりと目を向けた黒子はまたすぐに視線をそらし、右手に持ったままでいたいつ頼んだのか誰にも分からない冷や水をこくりと飲んだ。
その後もまだまだ言い足りないとばかりにキセキたちが一方的に論争を繰り広げていっても、黒子はひとりだけ最後まで調子を崩すことなく、そして心の中や真意を読み取らせない無表情で会話を受け流し続けた。
*** *** *** ***
「…仕方がない今日はここまでにしておこう。真太郎は明日も早いのだったな?」
「すまない。人事は尽くしたのだがどうしてもな」
「いや医学生が忙しいのは仕方がないことだ。だがあまり無理はするなよ」
「無論。…黒子、お前の話は再度時間を取り相応の心構えをしてから臨む。お前を堕落させる悪しき者たちから必ず救ってやるから待っているのだよ」
「…ボクはもう疲れました」
「じゃあ次は黒子っちの誕生日パーティーっスね!」
「俺ケーキつくるし〜」
「前の日から集まらない?オレ一番におめでとう言いたいっス!!」
「いい考えだな」
「ふっ…そんなことだろうと思い既に人事は尽くしてあるのだよ!」
「あ無理ですバイトなので」
聞いてはいても耳を素通りしてく会話をぼんやりと頭の片隅で意識しながら、何がどうなってるんだと青峰はいまだ混乱していた。
頭がまだ全然現実を受け入れきれていない。
自分の感情を素直に認めてしまうなら、青峰は怖かった。
変わりすぎた相手とどう接していいのか分からなくてそれが、怖い。
今もなんやかんやと黒子を構い原因の究明に努めたり小言を言っては切り捨てられたりしている他のキセキたちは、ある意味で変わってしまった黒子を認めて受け入れているように見える。
青峰には無理だ。
真正面から顔を合わせることも、話すことだって無理だと思った。
オレのテツが……という言葉がぐるぐるまわる。
男らしくて結構キツい性格してて案外手も早くてすぐ殴るし素っ気なかったりもするけど、ひとのことをよく見てて相手を強くする優しさをくれて小さい身体で支えて引っ張ってってもくれる、オレを見上げる目に大好きですって気持ちがいつも乗っかってたテツがいない。
自分との間に、もう一生失われないと信じて疑わなかった繋がりがまだちゃんと残っているのかすら分からなかった。
髪長いのも似合ってる雰囲気が全然違ってびびるけど色気もあってなかなか…とか見た目が変わっただけならまだそんなことを言える余裕はあったかもしれない。
でも青峰は黒子を一目見た瞬間、いつもきらきらと光っているかのようにみえていた、自分が心底愛した意志の強い丸い目――存在感が希薄でよく見失われているのに反して力のある強い心をそっくり写し取ったかのように美しい色をしていたその目から、全てが失われていることに気付いてしまった。
怖い。
青峰の愛した黒子テツヤがそこにいない。
どこにもいない。
「テツ」
心で呼んだ名前は実際には口でも呼んでいた。
帰路につく為にばらけた直後、まさに雑踏に紛れようとしていた華奢な背中は呼びかけにぴくりと震える。立ち止まり踏み出した一歩をもとの位置へ戻して、そしてしばらくしてからゆっくりと振り返る。
まだ数歩離れただけの場所にいた赤司と黄瀬は、黒子を呼び止めた声に気付いただろうがそのまま人混みの中へ消えていった。
視線でだけはまっすぐに見つめる目と対峙して感じたのはやはり、どうしてという痛みだ。
「なにか、用ですか青峰くん」
黒子の声は冷たいといえば冷たく、優しいといわれれば優しく聞こえた。
ぎし、と心が揺らぐ。
前は黒子の機嫌なんて感覚で分かった。でも今は分からない。
それはとても大きな不安を青峰に与える。
お互いを特別だと、そう繋げていたものがもし完全に失われてしまったとしたらもう方法なんてない。青峰には見つけられない。
高校の終わりとともにバスケットボールを手放した黒子とはもうバスケでは繋がれないだろう。
だから繋ぎ直す方法なんて青峰は知らない。
黒子は振り返った場所からじっとこっちを見ていた。
無言のままでいる青峰をそれでも放って帰ってしまわないことに何を思っているか分からない相手の心があらわれている気がして少しだけほっとする。
「……アメリカはどうですか?」
「あ?」
「楽しいですか」
青峰の大きな歩幅で二歩の距離。そこから黒子の方から話しかけてきたことに、まさか話を振られるとは思っていなくて驚いて少し反応が鈍る。
「バスケの話か?」
「それも含めてです」
「あー…まぁ」
楽しい、と言う単語を使うのは過去の所業のせいで今も照れくさくある。
言葉を濁しながらの肯定をした青峰にそれでも、小さく、本当にわずかに黒子が微笑む。
いつだってそうだ。
黒子は青峰がバスケを楽しんでいると分かる度、いつだって微笑んでくれていた。
はっと胸を突かれる。
小さな小さな、ほとんど無表情と変わらないそれが笑みだと自分の中の感覚が告げている。
黒子が青峰に笑いかける。
ほとんど分からないような笑みの、たったそれだけで怖さが消えていった。
「おまえ変わったよな」
妙な強張りが溶けたおかげで固まっていた口は嘘のように解ける。
「…変わらない方がおかしいでしょう」
「そうか?オレは変わったつもりねーけど」
「いいえ。変わりましたよ、キミも」
違和感を感じるぐらいの断言を受け入れるには見に覚えが無さすぎる。
滑りはいいくせに一度も可愛げを見せなかった黒子の口は「二年も経てば当たり前です」とさらに勝手なことばかり言って、その声音の穏やかさで青峰をやわらかく絞め殺そうとする。
当たり前になんかすんなと思う。
「オレは、ムカつくこととか殴り飛ばしてぇこととか我慢して頑張って、そしたらテツが大好きでたまんねぇって相変わらず言いまくってる目で誇らしそうにオレを見て褒めてくれるんだとばっか思ってずっとやってきたんだけど?」
「…………!」
「なぁテツ、」
今日はじめて大きく表情を揺るがしたのを見て背中を押された気分で二歩の距離を詰めた。
長くなっても手触りの良さそうな髪の合間からピアスが見え隠れして、鈍く輝くそれはゴツい感じのどう考えても知っている黒子の趣味とはそぐわない。
それはあいつらが散々騒いでいたように青峰の知らない誰かの影響なのだろうか。
「…ほらやっぱりキミも、変わった、」
眉根を寄せた黒子が視線を逸らしコンクリートを見つめる。
そんなこと、そういうこと。一度だって言ったことなかったじゃないですか。
苦々しげに言われた。
でも青峰にだって言い分はある。
「言わなかったのはそーだけど、おまえそーいうオレ知ってたじゃねーか」
返ってきたのは無言だけだった。
それにイラっとする。
テツは沈黙に逃げることはしなかった。しない男だったのに。
ピアスも酒を持つ手首から覗いていたブランドの時計も、ジッパーだらけのデザインコートも癪に障った。
全部全部誰かが変えてしまったのだと思うと青峰の心に暗い影が落ちる。
「バイト先教えろ」
「…いきなり何ですか」
「成敗しにいく」
盛大に嫌そうにされても、勘が原因はそこだと告げいてる。
「意味は分かりませんが来ないでくだい」
「もう決めた、ぜってー行く」
「駄目です。キミは特に」
「なんでだよ」
「駄目なものは駄目です。言うことを聞いてください」
「やだね」
「青峰くん」
「言いたくねーならいいわ。赤司に聞く。どうせ調べるだろうし」
嫌がる素振りはあっても黒子からは強固な拒絶は感じない。
ならばなぜ来てほしくないのか疑問に思いつつも諦めるつもりがないことを主張すれば割と簡単に折れてくれる。
はぁ、という疲れた溜息のオプション付きではあったけれど。
「三十日の夜なら、いいです。その日だけは融通が利くので」
「なにが?」
「別に独り言です」
「三十日なら許します。それしか妥協しません。それでいいですか?」
特に嫌がる理由も見つからず「わーったよ」と頷く。
どちらかと言えば日付が変わる瞬間に黒子のそばにいれることは青峰にとって嬉しいことでもあった。
だから「場所は当日メールします」なんて用心深いことを付け加えられても気にならない。
当日までに何度も目的を確認しないと、黒子の誕生日を一番に祝うことだけを目当てにしてしまいそうな単純な自分を分かっていたので青峰はしっかりと、当初の目的を頭に叩き込んだ。
一瞬だけ時をとめて見つめ合って、先に動いたのは黒子だった。
「では、また」と挨拶してから踵を返す。
コートの裾がひらりと揺れるのを目の端で捉えながら、青峰も駅に向かって歩き出す。
「ないですよ、なにも」
「ボクにはないんです、なにも」
そんな黒子の言葉は誰の耳にも届くことなく雑踏の中に消えた。
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