バシンという音をたてて弾かれたボールがまるでもう一回打ってみてよと言っているかのように足元へと戻ってきて、上がった息のまま少しだけ笑った。
バスケの神様が気まぐれでも起こしてくれたのだろうか。励ましてくれるなんて、と声に出して言ったら誰かに馬鹿にされそうなことを思いつつボールをすくいあげる。
脳裏に描く通りのフォームで、投げる。フレームに当たったガンっという音が、静かな深夜のコート上に響いて、そしてまた無音へと戻った。


ファントムシュートは外れない。外さない自信がある。でも普通のシュートは高校3年の今になっても全然だった。
黒子のシュートの成功率は5割に満たない。
それが結局の現実で、それを諦めきれない自分がこうして最後の悪あがきをしている。
せめて、最後に。・・・なんてチームにとってはいい迷惑な願望を持って。

せめて最後に、一度だけでも。思い描き続けたフォームで、シュートを決めてみたいだなんて。
無謀にも程がある願い。


吐く息は白く、動いていないと流れた汗がすぐにでも冷えて凍えそうな程寒い。
明日は大事な試合――高校最後の試合、ウィンターカップの決勝戦。
だというのに眠りもせずこんな所でシュート練習している時点で怒られることは確実でも、せめて身体だけは冷やさないように放ってあったタオルで汗を拭いていると、何かの予感がしてふっと振り返ってみた。
予感というのは正しくないかもしれない。気配、という表現の方が近い気がして、でも音が聞こえたわけでも何かが動くときの空気の揺らぎを感じたわけでもなかったから、それは本当に予感だったのかもしれない。
そこに見た姿に驚いて、数秒のあいだ瞬きをするのを忘れた。目を見開いたまま固まった僕を、彼もまた驚いた顔をして見ていた。
でもすぐに眉をひそめるようにし、聞きなれた低音が無音だった空間を動かす。
「テツ、お前なんでこんなとこにいんだよ」
「・・・君こそ」
驚きがまだ消えていなくて。なんとかそう返した僕を全く無視した青峰くんはずんずん近づくとその勢いのまま僕の頭をばしっと叩いた。
「明日試合だろ。なんだお前は、寝なくて全力出せるほど体力あんのか」
「ないですよ。君たちと違うんです。分かってます」
「じゃあ何やってんだ」
責める響きが強くて、しかも言われていることは自分でもそう思っている正論で耳が痛かったけれど、その目を見つめ返す。
同じような問答は時計が午前0時を回る前、自分自身の中でやった。
「シュートの練習を、していたんです」
「ファントムの、なわけねーな」
「えぇ。普通の、型通りのシュートの練習をしていました」
「意味がわかんねぇ」
その声に嘲りはなかった。
ただ言葉通りの純然たる疑問だけがあって、でもそれは最後の悪あがきをしていた僕にとっては少し痛みを覚えるものだった。
外れないシュートがもうあるのに、滅多に入らないシュートの練習をしかも試合前の深夜に、寝る間を惜しんでやる必要があるのか。
そう問いかける青峰の言葉に必要はあるんだと答えるには強さが足りなくて。
「ただの自己満足です」と言う声は言い訳みたいな響きになった。
「最後だから」
「・・・・・・」
「誠凛での最後の試合だからシュートを決めてみたかった」
「・・・ファントムじゃ、だめなのか」
分かります些細なことですよねシュートはシュートだろって。得点できるようになったんだから高望みするなって自分でも思うんです。
隠し切れない自嘲が表情をゆがませたのが分かった。
「だめとかじゃないんです。意味だって別にないんです。理由すらないのかもしれない」
「じゃあなんで?」
「・・・最後だから、ですかね」
上手く言葉で表現できない僕を、それでも遮らずじっと静かに待ってくれる優しさに救われる気がした。
「誠凛でする最後の試合だから心残りなんかないように。ここでの思い出が死ぬまで一生満ち足りたものであるように。そう思った時、ちょっとだけ心残りがあるなって分かったんです」

「・・・バカだな」
「自分でもそう思います」
「得点できるようになっただけじゃだめなのかよ」
「だめじゃないです。ただの僕の意地、かな」
大きく溜息を吐いた青峰くんは呆れたように笑った。お前頑固すぎじゃね?と言われて同意のために僕も笑った。
伸びてきた腕が手に持ったままだったタオルを奪いそのままぐしゃぐしゃと乱暴に頭を拭いて、続いて顔も。力加減が痛くてあげた抗議は黙殺される。
「俺お前のそーいうとこ嫌いじゃねーよ」
「意味だってないことでも?」
「あるんだろ。テツの中では」
とくん、と少し心臓が跳ね上がった。
「・・・普段は全然気が合わないのに、不思議です」
なんで君は分かるんですか?尋ねれば青峰くんはなんとなくとだけ言った。
ちなみになんでここにいるんですか?とさっきは無視された疑問をもう一度聞けば、それに返ってきたのもなんとなくの一言だった。
なんだそれは。
「こんな深夜に?電車もないのにここまで?ちょっと意味が分からないですね」
深夜徘徊する齢には早すぎませんかと真顔で言ったらどつかれた。
青峰くんは以外と冗談が通じない。
「バァカ。・・・なんとなくなんだよ。それ以外に理由はねぇ」
「だからそれの意味が分かりません。僕が今シュート練をしている以上に意味が分かりません」
「あー・・・・なんつーか、気がしたんだよ!」
「どっかのこのバカが、」そう言いながら頭に被せられたタオルの内側、侵入してきた手がなぜか両頬をひっぱった。
「このバカが、ここにいる気がしたんだ」

・・・・・・・・・。
ご丁寧にこのバカが、を二度繰り返した青峰くんの方がより『このバカ』の称号に相応しいと思う。
だって意味が分からない。
「バカです。バカなんですね。知ってましたバカだって。僕がいる気がした?それだけでここまで来たなんてバカにも程がある」
「こんな時間に意地になってシュート練してるお前に言われたくねーよ」
「いやいや君には負けますよ。選手として僕も非常識ですが、青峰くんはちょっと人として意味不明すぎてびっくりです」
「選手として非常識な方が問題だろうがっ」
「そうですよ問題です。そんな非常識してるなんて普通思わないですよね?」
「思っちまったんだから仕方ねーじゃん」
「だからって来ることないでしょう?もうほんとなんで分かるんですか、なんで来ちゃうんですか」
「だからなんとなくっつったろ。お前と同じ。理由なんかそうしたかったからしてるだけだっつーの」
そうしたかったってなんですかという問いかけが口から飛び出す前に心に深く飲み込んだ。
それを聞いてしまったら踏み込みすぎないようにと張っていたいた一線を今にでも越えてしまいそうで。

僕が無言になったら、彼も何も言わなくなった。
一瞬の空白。
それにすら心を繋げるものがあって自分達がいかにギリギリの淵を歩いているのかを改めて知る。
お互いの視線が絡み合って、頬を掴んでいた手が後ろに肩にずらされて、一瞬そのまま流されてしまいたいと心が痺れた。
唇が重なる前に顔を伏せて自分から一歩を踏み込む。上着の内側、シャツの境から見える鎖骨を視界におさめながらこつんと額をそこにあてた。
だめですという吐息のような声は目の前の身体をわずかに震わせてから空気に溶けた。
テツ、という深くて重い呼び声に僕の身体も小さく震えるけれど、ただ目を閉じてもう一度だけだめですと囁く。
言いながら、抱きしめるための腕が欲しいと思った。僕も、そしておそらく今、君も。

頭の後ろに回っていた手がゆっくりと外されて、迷うように一端そこで止まった。
僕も体勢の不安定さを理由に広い背中へと回ろうとする腕を、たくさんの気力を使って引き止める。
それから縮めていた一歩分の距離を元に戻して軽く息を吐く。
僕が顔を上げる前に青峰くんはその場を離れて、ゴールに向かって歩いていくと転がっていたボールを手に持った。

そのあと数秒、彼は振り向かなかった。

かわりに僕が近づく。
重なりたいのにできない。離れようとしても求めてやまない。
僕たちを強く結びつけるバスケが、今は同じだけの強さで僕たちに距離を生まれさせる。

あと一歩の遠さで後ろに立った僕を青峰くんがちらりと顔だけ向けて「構えろよ」と促す。
間を置かずゴールへ走り出した彼から、いつパスが来るか分からない試合の時と同じ、勢いをつけたバックパスが渡されて、構える。
集中しきれてないシュートの軌道を見つめながら、これで入ったら救いようがないなと考えた。
青峰くんにパスされたら5割に満たないシュートが入ったとか、どんだけ・・・・と思っていたらシュっという気持ちのいい音と共にネットが揺れた。

「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・よくできたまぐれだな」
「・・・・・・自分でもそう思います」

笑いを耐えた肩が若干震えていた。
その肩からまっすぐ腕が伸びて、突き出される拳。
コツ、と合わせる。
「この1回が試合に来ればいいんじゃね?」
「まぐれは、予期せぬ時に起きるからまぐれなんです」
今度は僕がボールを拾って、その位置からシュートをする。ガンっという耳慣れた音を立てて本日何回目か数えるのも空しく、見事に外れた。
くはっと笑い出す青峰くん。
「テツお前ほんと俺のこと好きだよなー」
「否定はしませんが肯定もしません」
戯れに隠したいろいろはお互いいつものように気付かないふりをして、そのまま朝までふたり練習をした。

























朝焼けを倒れたコートの上から見て、最後の朝日だなと思った。
明日からも呼吸をしてバスケをして食べてバスケをして寝る間を惜しんでバスケして、それは変わらないのになぜかそう思う。
脳裏に思い浮かぶ、太陽のように僕を照らす火神くんの姿。昇る朝日を見ながら愛しい光を思い浮かべた。
顔を横にずらすと青峰くんもまた、どこか真剣な表情で同じように空を見ていた。何を考えているのか表情からだけでは読み取れなくて、でも今はまだ聞ける距離ではないと蓋をしてただその顔を見上げる。


「終わるな」
ぽつりと呟かれた言葉に。
「そうですね」
答える。
彼の右手が僕の右手に絡んできゅっと力を込められた。
「勝てよテツ」
返事をするかわりにその手を強く握り返す。

そして一瞬のあと、絡んでいた手を僕の方から抜き取った。

青峰くんが立ち上がる。
何も言わずに歩き出す背をしばらく見つめてから、ボールを手に持って僕も起き上がった。
構えて、シュート。
放物線を描いた球はそのままネットへ吸い込まれていく。


絡んでいた手の熱が今も右手に残っているような気がした。


弾んでいるボールを持ち上げて、歩き出す。
あとはもう、終わった後にはじまるものを頭の中から消し去ってただ今日という最後の日のことだけを思った。











【ラストデイ、アフタートゥモロー】