変調しながら響くボールの音。
対峙する選手同士の無言の攻防。
一瞬のスキール音。
綺麗な放射線を描きながらネットに吸い込まれていくバスケットボール。
得点に震える心をぶつけ合うようなハイタッチ。
そして魂を揺るがすようなダンク。
そのどれもが僕を魅了してやまないバスケの華だ。
憧れて憧れて。
その華を手にしたくて――いつか手に入ると信じた。
伸びない身長。増えない筋肉。
――でも赤司が道をくれた。
スタミナもスピードもない。
――でもパスだけはできる。
ずば抜けたテクニックも、あるいはセンスすら生まれ持つことのなかったこの身体。
――でもバスケが好きな気持ちだけは誰にも負けない。
敵の誰にもとれないパスを、味方の誰にでも届くパスを。
光へ。
君たちへ。
繋がっていくパスが嬉しくて幸せで楽しかった。
僕はバスケが大好きなんだって思えた。
なのに。
居場所はここにあるって思えた、思っていたのに――・・・。
開花した光が自身を、
そして周囲を眩しく照らして。
照らして、焚きつけて、焼き尽くして。
孤独になった僕の光。
バラバラになっていく仲間たち。
そして僕は、ひとり、世界が崩れていくのをただ見ていた。
見ていることしかできなかった。
仲間がいなければ存在価値のない僕は、
一人取り残される。
それでも繋げたくて、
もう一度繋がりたくて、
しがみついたコートの上。
居場所がない、その恐怖に身が竦んだ。
いつもそこにあったボールを待ち望む手が、
声が、
笑みが、
熱望が、
何処にもなくて。
押しつぶされそうな心臓の痛み。
冷えた手足の感覚が消える。
どくんと身体が鳴って、
心臓が、心が、神経が、思考が、感覚が、強く鼓動した。
こんなに、つらいのは、弱いからか。
僕だけが、弱いからなのか。
絶望に似た悲しみが沸き起こって、心を埋め尽くした。
強くなれば、強くなれたら、また君と、君たちと一緒にバスケができるのか。
どくん、どくん、と身体が鳴る。
鳴るスピードが速くなる。
強くなりたい、
強くなれない、
なりかた方が分からない、
でも強くなりたい、
強く強く強く強く強く強く。
真っ黒に感覚が、思考が、神経が、心が、染まって、
そして次の刹那、
キン――・・・、
と耳鳴りがした。
ノイズのように、脳裏に響いていた音が、声になって。
一人じゃ強くなれないのなら他人を利用すればいい。
嘲るような言葉として頭の中を震わせた。
コートに一人きり?
仲間が応えてくれない?
見せ付けてやれ。
敵がいつでもそこにいるだろう。
瞬間。
決して存在しないはずの扉が音を立てて開いた。
ミスディレクションの応用とはね。
僕を見て赤司くんは愉快でたまらないというように笑う。
お前は最初から『読み』に長けていた。じゃなければ視線誘導の仕方なんてそうそう身につくものじゃない。、
大輝への一分の狂いもないパスも、相手からのスティール率の高さもその証明だ。
身体能力がないから付いていけないだけで、1対1になった時敵の動きだって相当読めているんだろう?
左右で色の違う瞳が、僕の目をまっすぐ捉えて、捉えて――・・・。
読めるから、自分がどう動くと相手をどう動かせるか分かる。
だからフェイクの視線誘導を入れて?相手を思うように動かして?
パスもシュートも、ディフェンスもオフェンスも、スイッチもスティールも、みんなみんな好き勝手に操って?
ゾーンの間は何も考えなくても、姿を見ているだけで脳が勝手に思考してくれるなんて。
全くお前は稀有な存在だよテツヤ。
愉快そうに赤司くんは笑う。
稀有な存在と褒めてくれる。
なのになぜだろう。覗き込んでくるその瞳の奥、深い痛みがそこにあるように見えた。
すごいっス!そう言ってじゃれつく黄瀬くんに、ありがとうございますと返す。
心は何も動かなかった。
扉を開くことを許された僕が感じたのは喜びでもなんでもなく、
ただこれで置いていかれずに済むという安著だった。
でも一つだけ――・・・。
何よりも重要な一つだけ、僕の幸福が少しだけだけど戻ってきた。
あの、僕がゾーンに入ったあの試合から、青峰くんがまた練習に来てくれるようになって、
もうなんだかそれだけでいいような気がしてくる。
不機嫌そうに、ダルそうにしながらも、それでも練習に来る青峰くんがいるだけで、
心を満たすものがあって、
ぐるぐる、ぐるぐると頭の中を渦巻く迷いや不安や葛藤が消えてなくなっていく。
彼へまっすぐと伸びたボールがパシンと綺麗に手に渡り、
ゴールを決めた彼が、
振り返って、
拳を。
僕は彼に笑いかけた。
つまらなそうにしていた君は。君が少し、笑った。
『テツ。お前のパスなんかちょっと変わったな』
『?そうですか?』
『あぁ。・・・前はいる所にボールが来たけど、今は“いて欲しいトコ”に来るカンジ』
『・・・!そう・・・ですか?気付きませんでした』
『まァまだ、そんな気がする程度だし?気付かなくてもしょーがねーんじゃないの』
『・・・・・・・・・』
『どーした、テツ』
『・・・僕は、僕のパスは、君のバスケの邪魔をしていますか?』
『別に?だって俺がお前のいて欲しいトコにいないわけねーもん』
『でもやっぱお前のパス受けんのは、いまでも楽しーわ』
『青峰くん・・・』
『じゃあ僕、頑張ります』
『ん?』
『君が楽しいと思えるようなパスを出せるように』
そこに弾くべきだと思う軌道へボールを繋ぐ。
頭はすでに次のルートを思い描き動き始めた。
なのに。
渡るはずだったボールはバシンと一度、コートを強く跳ねた後誰もいないスペースを走っていった。
思わぬパスミスに、赤司が緑間が紫原が青峰が、混じっていた2軍の選手が、そして何より受けるはずだった黄瀬が、
動きを止めて、
練習中のコートの上が、無音となった。
誰かのえ?という疑問の声がやけにはっきり聞こえる。
僕はただその場に立ち尽くした。
意味が、分からなくて。
そのままでいる僕をどーしたの黒ちんという声が、かみ合わないなんて珍しいのだよという声が、
黄瀬ちゃんと取れよという声が、なんで?という呆然とした声が。
赤司のただじっと見つめる目が。
全身を冷たくさせる。
まさか・・・。
でも、そんなはず。だって。いつも通り、僕は。
混乱する思考に、大丈夫だ落ち着け。たまたまだと言い聞かせる。
最近はなかっただけで、以前はタイミングが合わなかったことも勿論ある。
だから別に、大丈夫だ。
すみませんと謝ると吃驚した顔をしてわたわたしていた黄瀬くんが急に神妙になって同じ言葉を返してきた。
再開された練習。
震えそうな指先をほぐしてボールと人の動きに集中する。
紫原と対峙している相手の後ろからスティールし、取ったボールを青峰へ。
前方を駆け上がるその背めがけて。
センターをかわす為にきっと左側に重心をかける。フェイクを入れて反転して。そのタイミグに合わせて、繋ぐ。
なんなくボールを手にした青峰が豪快にダンクを決めた。
よかった。
ちゃんと繋がったパスに安堵して。
その数十秒後に、――僕は、孤独を知った。
緑間に、紫原に、黄瀬に、ボールを繋げられなくなった僕を下げる時赤司くんは何も言わずただ僕の肩に手を置いた。
いつもはそんなことをしないのに、特別にされた行動の意味を考える余裕すらなくて呆然と立ち尽くす。
変わったことなんてなかった。
今日はゾーンだって使っていなかった。
なのに、どうして――・・・。
皆のバスケを見ていられなくて、この場にいたくなくて抜け出す。
ずっと何か言いたげな桃井さんの視線を感じていたけど気付かないふりをした。
『最近のテツ、絶好調じゃねー?」
『そうですか?』
『ズレねぇし、ボールが手に吸い付いてくるっていうか』
『パス、受けやすいですか』
『あー・・・もうそんな次元じゃないな』
『・・・・・・え?』
『俺の一部って感じ。あるのが当たり前』
『・・・・・・・・・』
『っつーか、もうお前じゃなきゃダメだわ』
『・・・・・・っ・・・!』
『・・・楽しいですか?』
『ん?』
『バスケ、今は楽しいですか』
『・・・お前のパスで点取るのは、楽しい、かもな』
どうして。
なぜ。
その言葉が頭の中を回る。
でも思うばかりで、何も考えられなかった。
原因も解決策も分からないまま、それでも僕はコートの上に立った。
試合にでたいという心、出るのが怖いという心。
不安定な僕を、青峰くんが支えてくれる。
逃げそうになる僕を、テツが必要だと言って存在を許してくれる。
いつからか厳しい眼差しをするようになった赤司くんが「テツヤはベンチだ」と言っても、
僕からバスケを奪われそうになっても、
青峰くんが守ってくれた。
だから、平気だった。
苦しげに歪んだ緑間くんの目を、
泣きそうに揺らぐ黄瀬くんの目を、
いらついたような険のある紫原の目を、
感じていたけれど思考は止まったままで。
扉を開く前、何を願い、何を望み、何を叶えたかったのか。
もう思い出せなかった。
一直線に向かってくるボールを手で弾く、
加速させて、彼へ。
今は彼、だけに。
でも必ず、もう一度みんなへ届くよう、
その思いだけはずっと心にあった。
だからたくさん練習をした。
もっと上手くなれば、きっと届くと信じて。
ゾーンに入れば人の動きがよく見えるから
少しでも精度と時間をのばそうと努力もした。
バスケは、楽しい。
楽しかった。
楽しい、はずなのに。
どうして。
なぜ。
その言葉が頭の中を回る。
どうしてパスが届かないんだろう。
なぜ取ってくれないんだろう。
どうして前のようになれないんだろう。
なぜあの日々が戻ってこない?
僕はなんのために、扉を――・・・。
ぐるぐる。
ぐるぐる。
思考が、視界がまわる。世界がまわる。
控え室から抜け出してひとり、壁に凭れた。
試合には勝った。
ダブルスコアだった。
僕の居場所は、あった。
確かに、あった。
青峰くんも、そこにいた。
僕には、笑ってくれた。
なのに、なにかが、足りない。
ぐるぐる。
ぐるぐる。
回る思考を持て余しながら、
その場に蹲っていると、角の向こうで人の話す声がした。
「あれが、キセキの世代」
「嫌になるぜ」
「バスケする気も失せるっつーか」
「でも、何より最悪だったのが」
聞くな、と。
本能が言った。
でも固まった身体が動いてくれなかった。
「あの15番・・・思い出しただけで反吐が出る」
「なんだっけ?視線・・誘導、マジえげつな」
「あいつあんなバスケやってて楽しいのかね」
「さぁ・・・相手動かせばいいとか15番にとっては楽でいーんじゃん」
そんなこと、ない。
僕は。
僕は、――・・・!
言葉は何も出なかった。
ただ、
バスケが齎す絶望は、
こんなにも深く、重く、世界を壊すものなのだと、知った。
試合のあとふらりといなくなったテツはそのまま帰ってこなかった。
そして以降、部の練習にも来なくなった。
昔は、といってもそれほど前のことじゃないが、
昔はとても楽しそうに練習をしていたテツが最近、
どう見ても楽しそうとは言えない顔でいたのはキセキのやつらも、さつきも、部の誰もが知っていた。
俺はテツがそうなる前はほとんど練習に出てなかったから、
もう長いこと楽しそうなあいつを見ていない。
もしかしたらそんな姿を見たのは、俺がゾーンに入るようになった頃が最後かもと思う。
夕暮れ。
部活もとっくにはじまって、そこかしこからかけ声が聞こえてくる時間。
校舎の屋上に上ると、そこにテツはいた。
いるような気がしていたから別に驚かなかった。
俺が練習に出なくなってから、放課後の無意味な時間をつぶすためによくいた場所。
今は代わりにテツがいた。
足音をたてて近づく。
夕日で伸びた影をなんとなしに見ながら後姿から数歩の位置に来た時、静かに聞こえてきた声に足を止めた。
「君の孤独がやっと分かりました」
ぴくりと自分の右手が動く。
バスケをする為の手が、心を正直に表すのに思わず笑った。
笑った俺を、背を向けているテツは気づかない。
「君はこんなにも寂しくてつらくて深い、絶望の中にいたんですね」
静かに言う、でも細く震える肩に腕をまわして抱き寄せた。
袖を巻くっていた腕に落ちてきた水滴が何度も何度も肌を流れる。
だから強く抱きしめた。
俯いた項がますます震え、
俺はあぁ綺麗だなとそれを見ていた。
「さびしいです」
「・・・あぁ」
「つらいです」
「そうだな」
「バスケを、嫌いになりたくないです・・・!」
「俺もだよ」
俺もバスケを好きでいたい。
言うと腕の中で反転したテツが強くしがみついてきた。
嗚咽する身体を抱えて座り込み、頭を撫でる。
優しく優しく、らしくないぐらいに優しく。
「俺がいるから。テツ」
「お前のバスケは全部俺が叶えてやる」
慰めに聞こえるように穏やかに。
植えつけるように深くまで。
ぽたりぽたりと、綺麗に涙を流していたテツは、
それからゆっくりと、頷いた。
俺は久しぶりに、心からの笑みを浮かべて笑った。
ハッピーバースデイ、テツ。
絶望すらも分かり合えた、俺だけの相棒。
【アンハッピーハッピーバースデイ】
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