「・・・なぁテツ。お前さ、ほんとーに何も伝わってねーの?」
「君の脈絡ない会話にたまに僕はついていけないです」
空いていたリングのうちの一つを占領してスリーポイントの練習をしていた僕は、振り返らないまま「再考してから発言をお願いします」と背後の青峰くんに付け加えた。
放ったシュートはリングにぶつかりながらもなんとかネットを潜る。
好き勝手に弾んでいるボールを取りに行き、またラインまで下がり、構える。
「言ってもやってもダメって。手強すぎて俺の攻めもそろそろ限界なんだけど」
わずかの滞空時間の間に青峰くんの声がして、直後にシュっと綺麗に決まった。
僕が言ってからタイムラグがあったことに、本当にもう一度考えてみたのが伝わってきて少しおかしかった。
「ディフェンス不可能の点取屋の言葉とは思えませんね。・・・とりあえず何の話ですか?」
最初にお前、と呼びかけられていた気がするので僕に関係することですか。拾ったボールを両手に持ちながらこてりと首を傾げれば彼は大きな溜息を吐く。
「とりあえずなんも分かってねーことが俺は分かった」
「僕のとりあえずを放っておかないでください」
言った僕の言葉は無視された。青峰くんから話を振っておいてなんたる暴挙。インターハイ前の貴重な練習時間のうちの30秒を返してほしい。
もう一度リングに向かい合って。構える。シュート。
ガコンと耳慣れた音とともにボールが落下する。スリーポイントの精度はまだまだ足りない。
試合ではミスディレクションを多用してても、競り合いをしなければいけない場面はある。むしろ自分を囮にしてファールを誘うのも一つの戦略として常に選択肢に入れている。
ということはスリーポイントの精度が試される時が今度のインターハイでもきっと来る。
絶対にひとつだって負けられない。だから少しでも――・・・、という決意の途中でまたしても青峰くんが僕を呼んだ。
流れてくる汗をリストバントで拭いながら振り返ろうとすると、その前に頭にタオルが落ちてくる。
ぐしゃぐしゃと髪をかき回されるのに身を任せていれば濡れていた襟足までぬぐわれて、好き勝手に飛び跳ねてるだろう髪はいつも青峰くんが大雑把になおしてくれるのでそのまま待っていた。
そうしたら予想外に腕を引かれる。休憩だと半ば強制的に連れ出された。
体育館は夕食後も個人練習の為にと開放されている。全員が誰かに言われるまでもなく練習に集まるけれど、時間も遅い今はもうあまり人は残っていない。
初夏を過ぎてもまだ少しだけ涼しさの残る夜風を受けながら石段に座っていた僕たちの前を、練習終わりの一年生たちが通り過ぎる。
「お先に失礼します」のそろった挨拶に「おー」という返事しかしない青峰くんの代わりに「お疲れ様です」と声をかけながら、彼らがいなくなってしまえば館内に残っているのは片手で数えられるぐらいの部員だけになるなと思った。
時刻はもうすぐ22時を回ろうかというところだ。
もちろん僕はまだ練習をやめる気はなく、それは青峰くんだって同じだろうと考える。言葉で確認したわけじゃないけれどなんとなく雰囲気で分かる。
それを見越した監督からは前もってほどほどにしておけという忠告もされていたけれど、時間が許す限り一分一秒でもバスケがしたいという思いを抑えられないのだから仕方がない。
インターハイで優勝する最後のチャンス。そして主将となった彼が夏の冠を頂くことのできる唯一のチャンスだ。
そう思うとどうしても居ても立ってもいられずに今日は朝から気分が落ち着かなかった。あとからあとからバスケがしたいという気持ちが沸き起こってきて。
今もパスを出すための右手が疼いたような気がして拳を握る。
「右手、どうかしたか」
体育館内だけが光源の薄暗さの中で青峰くんはそれを目ざとく見ていたようだった。
「いいえ」
彼の心配を否定してから、ふと考えて付け加えた。
「君にパスが出したいと疼いたもので」
なぜそうしようと思ったのは分からない。
言ったあと、僕は彼を見た。一瞬虚を突かれたような顔をして、僕をじっと見る目が細く眇められる瞬間を。僕は静かに見ていた。
「お前、それが無意識とか詐欺にもほどがあるっつーか・・・」
「なんの話ですか?」
「なぁ、ほんとに?マジで言ってんの」
「僕は冗談は嫌いです」
「知ってる。だから俺は困ってる」
青峰くんは言葉の通り困った顔をして――と言っても見た目上はほとんど変わらないけれど。
困った顔をしながら手を伸ばして僕の頬に触れた。
そのまま左耳のピアスをなぞる。
そうされる時、ざわり、ざわりと背筋を這うものを言葉にしてしまうのは簡単なことだった。
でも自分自身を誤魔化すように沸き起こる感情に気付かないふりをする。
「はぁ・・・。意味が分からないです。いきなり連れ出して君は結局、僕をどうしたいんですか」
言葉の裏を青峰くんが読むはずないって知りながらそう言って、心の中で、名付けてしまえばいいのにと呟く。
たとえこの思いが君の抱くのと違うものであったとしても、君が名付けてしまえばいいのに。
この思いがただの恋だって。
僕自身が名付けるにはあまりに憧れがすぎるその感情を、君がそう。
今度は青峰くんが僕をじっと見ていた。何の表情も乗せずいつも通りにそこにいる僕を静かに見てた。
何か言ってくれるだろうかと期待したけれどやっぱり彼は僕を求めてはくれない。
あの日屋上で、彼への感情を恋なんて優しいものじゃない所へ縛りつけた僕の神さまは腕を広げて待つばかりで、ずるい。
そう思っていたら君の声がした。
「俺が、テツの全部になりたいんだ」
ばかですか。
まだ君で埋まってない場所なんてどこにあるっていうんだ。
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例えば、ランニングの途中。地平線の彼方へ沈む夕日の壮絶なまでの美しさ。
例えば、けぶるように降っていた雨の最後の一滴。たわんだ葉からぽつりと落ち行く雫。
例えば、散り際。小さな花びらが視界一面を淡い色で染め上げた瞬間。
例えば、木漏れ日を浴びながら眩しいほどの煌きを見上げ、蝉の鳴き声に耳をすませたとき。
僕が彼を思うとき、沸き起こる感情はそんなものとよく似ている。
切ないようでいて痛みのような。慈しみのような。あるいはそのどれものような。
それをひとが何と名付けるのか僕は知っていたけれど長い間蓋をして鍵をかけてきた。
僕のバスケを全て叶えてくれるって、そう言って僕の神さまになった彼にその思いを抱くのがどうしても怖くて。
*
「ですが時間を気にせず朝から晩までバスケができるというのは楽しいものですよ」
昼食後の雑談時、話を振られてそう返したら周りにいた二年生たちにびっくりするぐらい引かれた。
えー!?と思い思いに否定の声をあげる彼ら曰く、強くなるのは嬉しいだから練習も苦じゃない。でも合宿の地獄さだけは毎年嫌だ!とのことらしい。
まぁ確かに青峰くんだってキツいと認める一日の運動量。それが五日間なので言っている意味はよく分かる。
僕の「嫌という気持ち、分からなくはないです」という場をおさめる為の取り成しの言葉は、先輩体力ないのによく・・・と失言した後輩へのイグナイトへと形を変えた。
体力ないって言うな。
さっき死滅した威厳の跡地に広がる傷が、まだ全然癒えていない僕に対する許し難い一言に右手をうならせる。回避する後輩。
僕たちの戦いを爆笑しながら見ていた青峰くんへと質問の矛先は向く。
合宿がどれだけ嫌かの同意を求められて笑いをひっこめた青峰くんは平然と言った。
「あー・・・俺も別に嫌じゃねーなぁ」
直後体育館に複数の声が響く。
「「「「「「これだから桐皇夫婦は!!!!!」」」」」」
耳を通り過ぎていった合唱はなぜかそこかしこから聞こえたような気がして、辺りを見回す。
そうしてから僕はゆっくりと後輩たちへ向き直り、言った。青峰くんもぽかんとした顔になっていた。
「今、なんて?」
まさかの表現に「「・・・・・・!?」」となった僕たち二人と、はっとしたあと顔を見合わせた後輩及び周辺にいた数名。
青峰くんのヘッドロックと僕のその日初ヒットとなるイグナイト(軽)を叩き込んで聞き出した所によると、どうやら僕たち二人は相当前から――言いたくはないが一年の夏には既に、そんな呼び名をつけられていたらしい。
あれだけべったり、どこへ行くにも一緒。周りの全てがアウトオブ眼中。試合での見事なまでのツーカーっぷりはもう夫婦以外の何ものでもなかったぜ!同期が満面の笑顔で言う。
たぶんその呼び名はあの頃の僕たちの態度に対するからかいも充分入った上で生まれたものであることは言われなくても分かったから、返す言葉がなかった。
過去の悪行って怖い。
無言で数秒見つめあった僕たちの心は一つだ。
(そしてそんな様子にまたしても夫婦!のかけ声がかかった。みんな非常に楽しそうだった)
去年では決して有り得なかった明るさが今の桐皇にはある。
実力主義の桐皇学園の合宿は和気藹々とは程遠く緊張感に満ちているのが慣例のようだったけれど最近はその傾向が特に酷く、ここ二年は殺伐とさえしていた。
原因の中心にあったのは言うまでもなく青峰くんと、無言で彼のそばにいた僕だ。
威圧的な態度に独善的なプレー、他者を見下す言動はチームに険を生まれさせ決して緊張感などといういい雰囲気のものではなくしていたけれど今はもう違う。
二三年生の思い過ごしなどでないと言い切れるぐらいチームの雰囲気の変化は顕著で、競い合ういいプレッシャーを保ちつつもチームとしてまとまりだした故のお互いへの親しみがある。
敗北の日から青峰くんは変わった。僕も変わり、僕たちの関係も大きく変わった。それによってチームメイトとの関係も別物のようなぐらい変化した。
でなければいくら最強のエースといえども次期部長に青峰くんが推されることはなかっただろう。今、彼が主将をやっていることこそ全ての証明に違いない。
夏休み直後からはじまる恒例の夏合宿は僕たちが三年になった今年、インターハイ本戦への移動の都合上学園内の宿泊施設を利用しての校内合宿となっている。
合宿二日目の今日は最初から地獄だった。
早朝、まだ暑くないうちからはじまった練習は昨日なかなか寝付けなかったせいで体力ゲージが回復しきらなかった僕に案の定大打撃を与え、午前中に1回、午後に0.5回フロアに沈むことになった。(午後は寸前で青峰くんが支えてくれたので無様に倒れることだけは回避された)
そのおかげで三年になってから死ぬ気で押し通してきた先輩の意地が粉々だ。周りを取り囲んで心配そうにしている一年生と、先輩久々っすねー!とわいわいしながら世話をしてくれる二年と、ついにやったかーという顔でスクイズボトルとタオルを持ってきてくれる同期に半年間積み上げてきた僕の副将としての威厳が死滅された。
練習の再開を指示、囲いを散らせ、いろんな意味で沈み込んだままの僕を風当たりのいい場所まで運び宥めるように頭を撫でる青峰くんのキャプテンとしての成長ぶりに比べてのそれなので、テンションは下方向へMAXとなった。
なんとか全体練習を終え、移動する道すがら後輩から同年からかけられる体調を伺う言葉に、有り難いやら傷つくやら複雑になりつつ向かった食堂。
ドーンと目の前に置かれた山盛りのご飯にテンションは下方向に天元突破する。
「・・・なんですかこれは」
「監督から。『体力をつけなさい』だそうだ」
「・・・・・・・・・」
訂正しよう、今日は夜まで地獄らしい。
箸を持ったまま固まっている僕を尻目に、隣の青峰くんは次々に器を空にしていく。
どんよりしながらそれでも一口二口を食べれば確かに疲れた身体はエネルギーを喜んでいるのが分かる。分かるけれど目の前にどんと置かれている量にしても、それが視覚に訴える重圧にしても到底太刀打ちできなかった。
半分も食べきれずに再びかちりと止まった僕を、片肘ついて眺めていた青峰くんが目で言う。
まだ食べろ。
僕も負けじと目で訴える。
もう無理です。
無言の攻防を繰り広げる僕たちの前の席に、遅れてやってきた一年二人がプレートを置く。元気な挨拶とともに彼らがそこに着席した瞬間、敗者が決まった。もちろん僕だ。
昼間の挽回もできないままここで夕飯すら完食できない貧弱さを晒すわけにはいかないと、瀕死の身体に鞭打ちご飯を口へ運ぶ。が、五口目を食べた時点で吐き気がした。会話を弾ませている後輩たちに気付かれないよう静かに箸を置き、右手の甲で耐えるように軽く唇に触れる。
気持ち悪さと戦う僕に青峰くんは大丈夫かとは聞かない。ただ偉い偉いと子供にするように頭を撫でて僕の分のプレートを引き寄せて残りを食べてくれる。さんざん年長者のプライドに拘っているにしては彼にそうやって撫でられるのは好きだった。
ぱくりぱくりと健康的にご飯を食べている様子を見ながら僕はそれ以上の思考を遮断した。
*
合宿特有の大部屋で休息をとった後は昨日と同じく体育館へ向かう。
自販機で買ったスポーツドリンクとタオルを持って建物の外へ出れば、七月半ばのさわやかな夜風がTシャツの裾を揺らした。
全開にひらいた視界一面を遮蔽物のないグラウンド上に広がる真っ黒の空が占める。
普段はゆっくりと星を見上げることなんてないけれど、そこにあるのはいつもと同じ、代わり映えのしない夜空だってことぐらいは分かる。
でも合宿中の夜の学校というシチュエーション。前を行く青峰くんの背中ごしに見る夜空は何か特別なもののように感じて、目を凝らしてみれば遙か彼方で一等に光る3つの星を見つけた。
夏の象徴。青春の一ページ。本の中でもよく描写される夏の大三角を見た僕の感想は一般的とは程遠かった。
一等星である3つの星を見ながら、そんなものなのかと思う。
とても人気のある人をスターと表現したり、ベタな口説き文句の中に思い人を星に例えるような表現があふれているけれど、僕もそれに違和感を抱いたことなどなかったのに、こうして星空の下、彼の広い背中を見ていると苛立ちのようなものが沸いてくる。
僕だったら絶対にそんな表現はしない。欠片ほどだって言い表せないって分かるから。
どうして自分の憧れを、特別を、星なんて淡い光に例えてひとは満足できるんだろうと思う。
僕だったら。
僕にとっての君は星なんかじゃなく――・・・。
「テツ?」
ついてこない僕に訝しげに振り向いた青峰くんは少し驚いた顔をしたあと、全ての星を背景に従えておかしそうに笑った。
なに笑ってんだよ?
笑いながら君が言う。
そんな綺麗な光景に目を瞬かせながら首を傾げ。
僕、笑ってましたか?
聞けばこっちに戻ってきた青峰くんが「おー。ドヤ顔してた」なんて言うからそれのどこが笑ってるように見えたんだろうと思ったけれど、思い当たる節がないわけではなかったので聞くのはやめた。
君のまばゆい輝きが誇らしい、って。君が振り向いたとき、僕はそんなことを考えていました。そう言ったらどんな言葉が返ってくるんだろう。
少し気になったけど今はまだ言葉にする時じゃないような気がしてそれも黙ったままでいた。
「なんでもありません。行きましょう?」
留まっていたことを詫び、促すと彼はああと頷いた。
その後の一瞬はあまりに自然な動作だったから、気がついた時には手と手が繋がれて僕は青峰くんの一歩後ろを歩いていた。
何か言うどころか驚く暇すらなかった。
右手に持っていたペットボトルが抜き取られ反応を返す前に彼の熱い手が重なり。
長い指が、するりと、僕の指の間を。
ぎゅっと力を込められるのに合わせてどくんと心臓が鳴った。
怯んだように跳ねた僕の身体を宥めるように。いつもしてくれるように頭を、じゃない。組み合わさった手の甲を親指が撫ぜて。僕は。
手を引かれながらなんだか泣きそうだ。
そうして背を追いながら、思う。
この人は一等星なんて、そんな優しく淡いものじゃない。この人は、鮮烈な印象を刻みつけながら脈動するまばゆい光。
ちょうど昼間見た、澄み渡った夏の空で全てを照らす太陽のような。
そんな彼に、輝きを際立たせるための夜空なんて不釣合いが過ぎる。
相応しいものがあるとするならそれは――。
僕にとっての君は。
得難き相棒で唯一無二の光で、憧れの選手で理想そのもので、恩人で。誇らしくて。遠くて、遠くて、遠くて。
でもなんだか今は、手が届かないって諦めたくない。諦めたくなかった。
(僕が、君の輝く青空だったらいい)
溢れ出しそうな感情を精一杯で飲み込みながら、こぼれた思いがそう代替るのを僕は必死で肯定した。
――それだけで、いい。
もうそれだけでも、いい。
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唐突に覚醒してぱちりと目を開ける。
開け放たれたままの窓からは薄明るい空が見えた。
壁掛け時計へと視線を移せば、針は5時少し手前を指している。みんなが起きだすにはまだ30分はある。
秒針が一回りする間ぼんやりと天井を眺めたあと寝直すには微妙に思えて、そのまま起き上がりそっと部屋を出た。
なんとなくで外まできてしまった僕は裏口の一段高くなっている場所、ざらついたコンクリートの上に座ってなにを考えるでもなくぼうっと次第に明るくなる空を眺めていた。
太陽に熱せられる前の空気は澄んでいて心地がよかったから、ここにいたら眠気に負けそうだなと思っていると後ろで足音がした。
近づいてくる音に振り返ると僕は見慣れた長身の影に驚く。
「青峰くん・・・」
なんでここにと咄嗟に思ったけれど言葉にはしなかった。
僕が部屋を出た時彼も目覚めていたのなら追いかけきてもおかしくはないし、例え逆の立場だったら意味なく僕も彼を追ったに違いない。
特に何を言うでもなく隣に座った青峰くんはくあ、と一つ欠伸をする。
「寝坊常習犯の君にしては珍しいですね」
「目が覚めちまったんだよ」
「いつもそうしてくれたら僕の手間が省けて嬉しいです」
ちなみに覚醒した敗因に心当たりは?次回起こす時の参考にします。
そんなふうに冗談めいて言ったら青峰くんも冗談で返してきた。
「テツの気配は寝てても分かる」
・・・君が言うとありそうで怖い。
しばらく無言が続いて、いつもはなんてことない沈黙に少し緊張した時点で僕はこれからどんな会話をすることになるのか悟ってたのかもしれない。
脇に転がっていた小石を手の上で投げて手持ち無沙汰そうにしていた青峰くんが「お前思いっきりスルーかましたけど」と目を石に向けたまま言った。
「どう思ってんの?」
余分なものは何も付けないで、むしろ主語とかそういう必要なものすら置き去りで。なにがですかって分からないふりをしたかったのにちゃんと理解できてしまった自分に困る。
はじめて明確な言葉で答えを求められてやっぱり心のどこかが動揺する。
僕は目を伏せた。その仕草で少しでも言葉を和らげてしまいたかった。
「まだ、分かりません」
数呼吸あいたあと、青峰くんはふっと軽く息を吐いた。
彼も緊張していたかのようなそんな素振りが胸を衝く。
それに背を押されて思いがけず言葉が続いた。
「・・・だから少し、右手をかしてくれませんか」
だから。と僕は使った。
自分でも本当にそれに意味があるのか確証はなかったけれど、敢えてそう言った。
迷わず大事な手を預けてくれる信頼が嬉しい。
触れた途端胸がぎゅうっと苦しくなって。
生まれた感情はそのままの形で彼に受け渡した。
「君に触れると胸が苦しいです」
僕より一回りは大きい手のひらをそっと動かし髪になぞらせる。
思い出す手はいつも優しく触れる。
「君に撫でられるとこころが温かくなる」
まばたきもしないままの彼と見詰め合った。
頭の上にあった手をゆっくりと降ろし、指先を絡める。意図を持って動く僕を受け入れるように彼の指先が開くのを待って深く指を絡めた。
君がしたように親指で甲をさする。何度も。
「こうされると泣きたくなります」
何度も優しく撫でたあとゆっくり指先をほどく。
そうして大事に支えた彼の右手を膝の上へ返す。
「離れるときは寂しい」
(ねぇ神さま。この感情はなんですか)
(なんと呼ぶ許可を、僕にくれますか)
「青峰くんこの感情はなんなんでしょう」
大きな身体に抱きこまれながら問いかければさらに腕に力が篭った。
押しつぶされそうなぐらい強く彼の檻に捕らわれて。僕は抜け出せない。抜け出したいと思わなかったから動かないままでいた。
「そこまで言っててなんで分かんねーんだよ・・・」
弱った声が言う。
「答え知っているなら教えてほしいです」
「やだ」
彼の腕と胸の間でくぐもった声で言ってもその一言で簡単に却下される。
この世で君だけが僕の心を定められるのに、君が言えば僕はこの感情を“そう”呼ぶことを許してあげられるのに。
君からは決して名付けてはくれない。
「お前が鈍すぎて俺は苦しい」
「・・・君が苦しいのはだめです」
「じゃあはやく答えをだしてくれ」
そんなことを言われても、困る。
思う僕の頭を青峰くんが撫でる。こころが温かくなる。
「こうされてるとなんだか分かりそうな気がしてきます」
僕を囲う腕の中、不可能と知りつつぽつりこぼせば即答が返ってきた。
「ずっと抱いててやる」
「・・・残念。そろそろ5時半です」
くすくすと細く笑った僕に君は盛大な溜息を吐いた。
*
午後練の最初は試合形式で、交代となった僕はボトルを手に持ちコート横に座り込む。
こてんと鉄扉に身体を寄せて休む僕の全身を灼熱の太陽が照らしてひたすらに暑い。休んでいても体力はあまり回復しない気がした。
外からは生暖かい風と蝉の大合唱が入り込んでくる。いろいろな意味で熱気の篭った体育館の中、フロアを一直線に駆け抜ける青峰くんの姿を目で追った。
見ているのに特に理由があったわけではなく、ただ何もしないでいると自然と意識を奪われてしまうようなそんな力が彼にはあって。
僕がぼんやりしている時、休憩している時、高確率で青峰くんを眺めているらしい。らしいというのはついさっきまで全くの自覚がなかったからだ。
先輩ってよくキャプテンのこと見てますよねと、午前中そう言われてはじめて気がついたぐらい青峰くんに視線がいってしまうのは僕にとって自然なこと且つ無意識なことだったから、自覚してしまうと見ている頻度に自分で驚いた。同時に僕はどれだけ彼の引力にふらふら引き寄せられているんだろうと、おかしくもある。
視線の先では青峰くんがこれからの桐皇の主体となっていくだろう後輩数名に何かを言っている所だった。
真剣な顔で言葉に耳を傾けている後輩たちが頷く。
また一言二言喋ったあとに何かを託すよう彼らの肩を叩く青峰くん。
いま目に映るのがどれだけ得難いものなのか。
僕はこみ上げるものを誤魔化すようにスクイズボトルの中身を呷った。
「黒子先輩」
呼ばれたことに驚きつつ横を向けばそこにいたのは決意に満ちた表情をした一年生が3人。
「タップパスの指導お願いします!」
固まった。
人生においてはじめての率いる側の立場になってしかも副将として支える対象は僕の光――青峰くんで、しっかりしなければという思いだけが先行していた。
そんなはりつめている僕としか関わったことがない一年生とは正直あまり上手くいっていなかったから、指導をと言われて吃驚する。
「・・・僕でいいんですか?」
「はい!先輩のパスに憧れて桐皇に入ったので」
「俺はキャプテンとの連携に感動して!」
「指導お願いします!!!」
勢いに押されるように同意して、じゃあ向こう側でと移動を促す。
そんな僕を青峰くんが優しい顔で見てた。
優しい表情の意味は、すぐに分かった。
僕もさっき同じような顔をきっとしていた。
(どうしよう 君を すぐそばに感じる)
君のバスケを幸福にしたのも、
僕のバスケを幸福にしたのも、
二人でしてきたことなんだって実感したら急に君がすぐそばにいるような気がして、たまらなくなった。
(君は 神さま なのに)
冗談交じりに言われたことがある。
「お前は俺を神様か何かだとでも思ってんのか」と。
僕はそれにただ笑って肯定も否定もしなかった。
僕にとっての彼とはそう、神さまに等しい。
手の届かないもの。
伸ばすことすらしてはいけないもの。
なのに。
ねぇ、そんな手の届きそうな所でふらふらしてないでください。
口に出して言っているつもりはなかったのに返ってくる声があった。
頼むからそうやって、勝手に俺を諦めないでくれ
苦しげな声がそう言って僕を許す。
僕の罪を許す。
罪ですらないって君は言う。
青峰くんはほんとに休憩のたびに僕を抱きしめた。
人の目がある時にも伸びてくる腕は叩き落して全力で抵抗したけれど、二人きりの時は身体を委ねた。
何度も抱きしめられて。
僕に彼が触れて。
触れ合うことで生まれる感情に、溢れ出す気持ちに僕はとうとう負けた。
夕焼けに染まった体育館の外壁と僕の身体の間に彼の腕がまわされた時、思いを囲っておくための大切な大切な器にとうとう修復不可能なぐらいのヒビが入ってしまったのを感じた。
君は神さまなのにと弱くなじった僕に、頼むから諦めるなって青峰くんは言って。
抱きしめ返したらもうどこにも戻れないって分かっていたのに、彼がそんなことを言うから我慢なんてできなくてしがみつくように腕をまわしてしまう。
彼の声が静かにテツ、って呼ぶ。
それだけで思いの全てが伝わってくるような気がして。
はい、と頷く。
何度も、何度も。
中学一年の時に出会い言葉を交わし、二年生になって言葉が無意味になった。三年でまた繋がったけれど大きなずれが生まれていた。
お互いが全てだった高校一年。言葉なんてなくても触れ合うだけで充分な気がするなんて、そんなのは過ちだと気付いた二年。
そして今は確かに言葉なんてなくても見詰め合うだけで、触れ合うだけで伝わることもあると知った。
全身で感じる彼の体温に、内に木霊するような心臓の音が、抱きしめる腕の強さがどこからくるのか、テツって僕を呼ぶ声の奥にあるもの。
どうか伝わってほしい、そんな君の願いまでちゃんと分かる。
僕も何も言葉にできなくて、何度も何度もただ頷く。
首筋に甘えるように頬を寄せるとさらにぎゅうっと抱きしめられて胸が痛い。
喉を通すには大きすぎて、つかえてしまいそうで、好きですとは結局言葉にできなかったけれど、もうそれでも大丈夫だって。僕を抱きしめる君の腕がいってた。
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その後は平常に戻すのに苦労した。というか情けなくもできなかった。
体力の配分を間違えた僕は全体練習の終了直前にダウンし、自分に向けてイグナイトってどうやるんだと本気で考えながら意識をブラックアウトさせた。
すぐに目は覚めたものの、監督から今日の個人練習禁止令が出され僕の副将としての威厳は死滅した上、再起不可能なまでに叩きのめされた。
ずーんと沈む僕に近寄ってきた青峰くんは、気持ちの切り替えは上手くやる性質の僕が珍しく沈んだままでいることに不思議そうな顔をしたので「僕の威厳が・・・」と呟いたら笑われた。
見た目上は無表情でも心の中では盛大にムっとなった僕に気付いて「ちげーよ」と頭をぽんぽんと叩かれる。ざわざわする感情を名付けてしまったあとの僕には心の平静に保つのが難しい触れ合いだ。
「テツのすげーとこそーいうんじゃねーだろ。10回倒れようが100回倒れようがあいつらは気にしないって」
彼は言った後、すぐに誰かに呼ばれていなくなってくれたから密かに赤くなった顔を見られずに済んだ。
今更思うけれど君はちょっとかっこよすぎるんじゃないだろうか。
合宿中はじめての青峰くんのいない夜の時間。他の部員とバスケ論を語り合ったり指南書を読んだりしながら過ごしてはみたけれど、バスケできないことに耐え切れなくなった僕はそろそろと体育館にむかい、その途中で監督に捕獲された。勿論練習なんてさせてもらえるはずがなく、僕がすることになったのはインターハイ出場校のDVDを見ながらの作戦会議。熱くなった僕と監督が我に返ったのは深夜を過ぎた頃だった。
体力は消耗しなかったけれど寝る時間はいつもに比べて遅くなり、監督に謝られるという珍しい経験をして眠りについた。
そうして迎えた四日目。
朝起きて、目が合って開口一番の青峰くんの台詞は「昨日どこにいたんだ?」だった。監督の所ですと答えたらなぜか不機嫌そうな顔をされるて首を傾げる。
「もしかして待っててくれてました?」
部屋に戻って寝静まった中をそろそろと歩き自分の定位置まで行った時、隣の青峰くんが不自然な格好で寝ているのが目に付いてもしかして、と思った。
まあなと歯切れ悪く返ってきた頷きに「待たせてしまってすみませんでした」と謝ったらなぜか微妙そうな顔になっていた。
水道争奪戦の末、身支度を整え食堂へ。パン一切れと牛乳だけで済まそうとした僕の朝食には青峰くんの手によってフルーツサラダが追加された。
一瞬げんなりしそうになった自分を二日間に渡る醜態を思い出して奮い立たせ、体力をつけることは最優先課題だと完食する。
頑張りましたと主張した僕をそこで頑張ってる時点でダメだろと青峰くんのキツい合いの手が入って、そんないつもと変わらない会話をしているのに。
体育館への道を並んで歩く僕たちは昨日までと同じように見えるのに、お互いだけが分かる大きな変化があって。それがもたらす心の動きにまだ僕は追いつけていない。
よく自分を探ってみればこの思いはたぶん帝光中の第4体育館ではじめて会った頃、わりとすぐに生まれた感情からきっと続いている。
だからそう、――出会って五年、恋をしていたようなものだ。
そのくせ思いを認めるのと成就がまったくの同時なんて、一気にハイスピードすぎてついていけないのは仕方がないのかもしれない。
納得して少し安心する。
時間はある。だからゆっくり身に馴染ませていこう。
・・・なんて考えは数分後に粉々になった。
階段を降りきって裏口から外に出る。
朝早くからの蝉の鳴き声。澄み渡った空に、きらきらと降り注ぐ暑い日差し。毎朝の馴染みを無意識で感受しながら広い水飲み場を過ぎて人気のない外壁の角をまがった時、横からぐいっと腰を掴まれた。
え?と思っている間にもう片方の手が首を支えて上を向かされる。
そうしてぶつけるようにキスをされた。
目を見開いたまま固まる僕をそのまま放置して、二度三度と唇を食まれる。
一呼吸おいた後、無防備に薄く開いていた唇を彼の舌で深く割られて。
僕はただ固まっているしかできない。そのまま離れていく彼の目を見てた。
見なければよかったと思うけれどもう遅い。言葉がなくても伝わる事が困ることもあるんだって強制的に教えられる。
待たないって、彼の目が言うのだ。
動揺したままの僕の腕を掴んで何事もなかったかのようにさっさと歩く青峰くん。
思考すら止まったままの僕は体育館の入り口でようやくはっとなった。
・・・とりあえず、バスケをしよう。
これは決して逃避ではない。
逃避ではないけれど、この日一日の意識は全てバスケに捧げた。
待たないとその目で語った彼もそんな僕を許した。
*
一度もダウンすることなく練習を終え微妙に距離を取りながらも夕食を乗り切り、個人練習も何事もなくやり過ごし寝支度も整ったあとは寝るだけだ。
三年で固まっている大部屋には既に布団も敷かれていて、疲れきった数名はもう寝の体勢に入っているそんな中。
僕は廊下に設置されてる水飲み場で歯を磨きながら一日放棄していた思考をようやく再開させた。
脳内で何度も朝のキスが反芻されて、射抜くような双眸を熱を帯びて潤んだような瞳を思い出すとぞわりと背筋がふるえる。
それが何なのか、考えるために分からないふりをしてみたけれど、好きだという気持ちを認めた今、すぐにだって答えに辿りついてしまう。
好きだと思う度薪をくべたように大きくなる感情。いとおしいという気持ちの大きさに比例するように重くなるそんな感情を、人は欲と呼ぶのかもしれない。
それは僕の中にも確かにある。
青峰くんの、彼の心を如実に伝える眼差しに捕らえられるのを想像する。そうするとじりっと熱が広がる、身体に広がるそれに欲を感じる。
昨日の今日だとか、期間とかは関係なく、好きだと自覚すればすぐに直結して身体も、相手の全てを欲しくなるのが男の性というものなんだろうかと生真面目に思考してみたところで無意味さを感じて考えることをやめにした。
好きだという感情やそれに付随する熱を理論的に考える意味なんてない。
好きだ。だからそばに居たいと思う。隙間もないぐらいそばに居たいから相手を全部欲しいと願う。
その手段が手を重ねることだったり、口唇を合わせることだったり、あるいは身体を繋げることだったりするだけで、どれをするにしても結局はただシンプルに相手を好きであればいい。
それだけでいいんだと思えばうだうだと混乱していた頭がすっきりして、口を漱ぎ部屋に入ると全員がもう布団の中だった。
謝りつつ電気の状態を尋ねれば返ってきた消してくれの声たちにパチリとスイッチを切る。
昨夜のように慎重に布団と壁の間を移動し、一つだけ空いているスペースに横になった。
目を閉じれば、聴覚に意識が集まって寝息やシーツの擦れる音、隣の部屋からの物音が聞こえてくる。
しばらくして隣で大きく身じろぐ音がした。
左を向いて眠るくせのある僕の向かいにいるのは青峰くんだ。目を閉じる前最後に見たのは彼の背中。そして寝返りを打つったような布の擦れる音。
どうしてか、僕はぱちりと目を開いた。
暗闇に慣れた視界の中、窓から入る月明かりの下でこっちをじっと見ている濃紺の瞳とぶつかって。
淡い光の元でもとても綺麗に、彼はそこにいて僕を見ていた。
そうしたらああもうダメだと思った。この合宿中何度そう思ったか分からないぐらいもうダメだって気持ちが決壊してきたけど、今度こそ本当に。ダメだ、ってこういうことを言うんだって分からされた。
「・・・青峰くん。怖いのでトイレついてきてください」
別に全く怖くなんてなかったけれど周囲にも聞こえるようわざと少し大きめな声で言う。
「しゃーねーな」と小さく言って起き上がる青峰くんこそ実は怖いのが苦手だ。でも僕の方が怖がりだとかそんな誤解はどうだっていい。
言葉を思考できたのは部屋の扉を締めるまでだった。
先に扉をくぐった青峰くんが振り返る、それに合わせて手を伸ばして首に絡める。引き寄せながら伸び上がって僕の方から深く長いキスをした。
こうして僕たちは目まぐるしい夏合宿、その最後の夜を終えた。
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最終日の練習は日が暮れる前に終わる。
ピーッという笛の後集合の声が体育館に響く。全員が集まれば明日からの予定を再確認し青峰くんが解散を告げる。
片付けと整備が終わる頃には茜色の夕空に一番星が輝いていた。
合宿が終われば休む間もなく会場へ移動し、すぐにインターハイがはじまる。
初戦の相手は赤司くん――彼の率いる洛山。
それでなくとも他に気持ちを傾けたままで頂点まで駆け上がれるほど全国制覇は易しいものじゃない。
なのになんで合宿中だったんですか?
聞けばバツの悪い顔をしながら大会がはじまるからっつーのもある、と青峰くんは言った。それと・・・、のあとは小さくて聞き取れなかった。
まぁほとんどの原因は逃げるくせに煽りまくるテツだったけどなと情感深く言われ居心地が悪い思いをした帰り際の公園。
死角になる木の陰で、一度だけキスを交わしてわずかな間の別離の挨拶をした。
じりじりと焦げ付く感情を身体の奥深くに閉じ込め鍵をかけて。
その瞬間から青峰大輝は桐皇のエースでキャプテンで僕の光以外の何者でもなくなり、ここに立っている僕もまた一人のプレイヤーである黒子テツヤへと戻る。
明日から僕たちの間を繋ぐのは手と手でも唇同士でもなく、捨てられなくて足掻き続けてきたバスケットボール。
君は僕のパスが、君を必ず自由に走らせるのだと知っているだけでいい。
僕は君を飛ばす青空で、君はそこで名の通り誰よりも強く綺麗に輝くんだ。
そして三度目のインターハイに挑んだ僕たちは、去年失った王者の冠を奪還する。
【以後153日間に渡る攻防の序章】
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