本当はやめろって縋りつきたかった











右腕を抱え込み倒れたままの姿勢で衝撃が過ぎるのを待つ。
たくさんの声と足音が周囲から聞こえてくる中で、一際目立って聞こえるのはコートを駆けてくるひとつの足音だった。
そして焦ったように名前を呼ばれながら左肩を大きな熱で覆われるのを感じる。
痛みと打ち付けられた時のショックに瞑っていた目蓋を押し上げるとすぐそこにあったのは火神の――心配そうに強く眉根を寄せた、自分の光の顔。
ちゃんと焦点が合ったことに少しほっとした表情になった彼は、またすぐに真剣な声で「頭打ったか?」と聞いた。それには短く否定の言葉を返してから証明するように左肘に力を入れてゆっくり身体を起こそうとすると、さっと背中に回された力強い腕に支えられ、ほとんど抱き起こされるような形になった。
背後に感じる火神の熱、そして重なった部分を通して聞こえてくる鼓動の速さに僕はふっと泣きたいような気分になって。でも変わりに少しだけ笑んでそれを誤魔化した。
些細な変化はまわりを取り囲むチームメイトの誰もが気付かない程度だったけれど彼の目だけは違うことなく僕の表情を読み取って咎めるように厳しい目つきで睨んでくる。
そんな所にもこの人の一番近くで、三年間ずっと、一緒にバスケをしてきたんだなと思わせられながらみんなに支えられ一端ベンチへ下がった。

僕の光は、座って治療を受ける僕の目の前に立ってその様子を見ていた。じっと、物理的な強さすら感じさせそうなぐらいの強さでじっと、僕を見ていた。何も言わずただ見ていた。
だから僕はその右手を掴んでさっさとコートに戻れとせっついて僕の光の――主将の背中を強く押し出した。
数歩してから止まった彼は一度、振り返ろうとするかのように身体に力を入れて。
でもこちらを見ることなくラインを越えていく。
連れられてコートに向かっていくチームメイトたちに声をかけられながら今度は僕がその背中をじっと見ていた。




再開された試合、ベンチもコートも観客席もまだどこかざわつき集中しきれていない中で、腕の様子を見ていた監督が言った言葉に首を振って強く拒む。

「病院には行きません。あと10分もてばいい」

硬質に響いた僕の声にまわりの雰囲気が張り詰めたのを感じたけれど、それを和らげてあげることはできそうになかった。
監督の声に、僕の声に、普段の怪我とは違う何かを感じ取ったマネージャーが僕の名前を震える声で呼んで、それに被さるようにして可愛い後輩たちの、三年間一緒に頑張ってきた河原の声がする。
そのどれもに何も答えられないのはつらかった。
でも目の前でコートを駆け抜ける――高く跳躍してゴールを決める彼を、絶対に勝つと気迫で語る彼を、どうしても譲れない。今、この瞬間のバスケを譲れない。

「出ます。・・・監督、お願いします」

無様なプレーは絶対にしませんと誓うように言えば睨みあうようだった監督の目が少し揺らいだ。
そしてわずかな沈黙の後「決意は変わらないのか」と静かに聞かれる。
それに対する答えはもうずっと前から決まっていた。まだ先輩たちと一緒にプレーしていた時から、あるいは一年のインターハイの時にだって同じ答えを返しただろうと思う。
僕の返事は逆転弾となったダンクへの歓声に紛れたけれど監督は聞き返さなかった。
審判へ交代の申し出を行う背中へ礼をして、羽織っていたジャージを脱いでベンチへ置く。隣でタオルやドリンクを渡してくれていた部員が心配そうな顔で僕を見ていて、それからぐるりと周りを見回すと誰もが同じような顔をしていた。

「必ず勝ってきます」

大丈夫です心配しないでなんてわざとらしいことは言えなかったからただそれだけを言うと、四方から返ってきた言葉に胸が震えて右ひじの激痛すらなんてことないような気がした。
信じてますと言って送り出してくれるこのチームを好きだと、心底思った。




試合が止まるタイミングを待つ為に意識を集中させながらサイドラインへ向かう。
その時全てを掻い潜って耳に届くものがあった。

「黒子っ・・・!!!!!」
「黒子っち――・・・!」

はっとして観客席から聞こえた声に顔をあげると目に入ってきた緑間と黄瀬の姿に、胸を衝かれた。
目を凝らさなくてもなんとなく分かる。手すりぎりぎりにいる黄瀬は今にも泣き出しそうに揺らぎながら、その長身を真っ直ぐに伸ばした緑間は叱りつけるようにして黒子の方を見ていた。

だから、気付いているんだと知った。

一度だって肘のことを言ったことなかった。感づかれないように注意していたから素振りすら見せたことなかったはずなのに。
(怪我の治療よりも試合に出るという、ただその行動だけで。きっと君たちには分かってしまったんでしょうね)
僕の右腕の、状況を。未来を賭すような選択の、その意味を――・・・。

二人は一度だけ僕の名前を呼んだまま、他の言葉は発しなかった。何度も何かを言いかけてでもきっと僕を思って言わないでいてくれた。
その事実が心に苦くて、でも嬉しいと感じてしまう自分もいる。チームの為にそして僕自身の為に選択した答えを否定しないよう、言葉を探している二人の優しさが嬉しい。
脳裏を過ぎる帝光中での日々。僕のバスケの原点。僕の全ての幸福のはじまり。
こころに映る彼らとの思い出をそっと撫でて強く抱きしめる。
物理的には無理だから心の中でだけ。
数瞬、全てを捨てて観客席へと意識を向ける。二人に、そしてどこかで見ているだろう彼らに。
後悔はしない。だからごめんなさいという謝罪はしない。

(一生言うことはないけれど、だけど本当は君たちともっと一緒にバスケをしたかった)

ありがとう。
大好きです。
そういう心を込めて彼らを思った。




バイオレーションの笛が鳴りタイマーが止まる。
交代の合図を受けて降旗が黒子のもとへ走ってくると強い力で左肩を掴まれた。
ユニフォームを汗で濡らして全身から熱を発する彼は他の誰にも引けをとらないぐらいボールを追うことが大好きな、頼れる仲間だ。肩を掴む手も僕より一回り大きい。
その大きくて熱い手が今度は包み込むように右肩に触れる。

「頼むから!無茶すんなよ」
「・・・・・・任せてください」
「おぉ、信じてんからな!」

真剣な表情だった降旗がにかっと笑い、つられて笑い返しながらぱしんと手と手を弾く。

「はい、全力で勝ってきます」

おい!話聞いてた!?という声をを背後で聞きながら位置につく。
すうっと深く息を吸って手首のリストバントを握り、胸に。SEIRINの文字に触れると力がどこまでも沸いてくるように感じて痛みで細かい震えが走っていたのが不思議と治まった。
閉じていた目を開き、視線の動きだけで選手たちの位置を確認しながらスローインではじまろうとしている試合に集中する。

黒子のマークにつかれるのは徹底的に研究してきたとわかる、ミスディレクションの効きにくい厄介な相手だった。
去年対戦した時からやりにくいと感じていた相手がさらに対策を重ね、試合開始直後からよくここまでと思うほどパスを通し辛くさせられていた。
スピードとパス回しを真骨頂とする誠凛は序盤から厳しい戦いとなり、先程火神が逆転のダンクを決めるまでは常に数点差で負けていた。立場が逆になった今も差は僅か2点。
ただ、流れは誠凛にある。
一瞬の隙をつきスティールしたボールをすぐにパスする。
黒子に並走してぴたりとくっついてくるマークを細かい切り替えしで引き離しながらボールの行方を目で追う。
双方にとって勝利のためには絶対に逃せない大事な局面。誠凛を流れに乗させるわけにはいかないという相手の気迫は、激しいプレス――右腕の不調が周知の事実である黒子の右半身への強い当たりにも現れていた。
だからこそ。

打つべきはイグナイトパス。

向かってきたボールにコンマ何秒かで判断する。
いくらでも打てると知らしめるためにも、そう決意した瞬間、ビジョンが開けた気がした。
ボールがバックボードに跳ね返ったその瞬間に合わせて高く跳躍した火神が豪快にリングを揺らす光景が。

強く踏み込んで掌でボールを加速させる。
全員に執拗なまでのマークが着いていて誰も振り切れていない。
送る先はリングの真上。
耳が、だんっ!と踏み切る音を聞く。

どんなディフェンスをしたって誰にも止められないものがある。

宙を翔る僕たちのエースとか。
魂を込めたイグナイトパス、とか。


ガンッ――・・・!!!!


勢いよく弾かれたボールを火神がリングに押し込む。
ボードが4点差に広がったことを示すと静まり返っていた場内を怒涛のような歓声が満たした。


ピーッという笛の音が鳴り審判が相手側のタイムアウトを告げるのを目の端で捉えながらリング下でもみくちゃにされている火神を見ていると、気付いた仲間たちが駆け寄ってくる。

「ナイスパスです!先輩」
「ナイスです!!」
「全力で行くので頼みますよ」
「「はい!!」」

元気よく言った二人とハイタッチを交わす。
既に第4クオーターでありながら疲れを感じさせない軽さで監督のもとへ走っていく後輩たちが頼もしい。
そうしてベンチへ戻る途中の所に立ったままでいる僕の背をセンターとしてチームを支える福田の手がばしりと叩いていく。

「任せたぞ!」
「もちろんです」

何があっても最高のプレーをします。
言外に含めたそんな思いを、黒子が短い言葉の中に秘めるたくさんのものを、感じ取れる人間はそう多くない。
そう多くないうちの一人であり、待ち人である気配が近づいてきて、福田を見ていた目を後ろへと向けてからゆっくり歩きだす。
歩幅もスピードも違うにも関わらず追い越すわけでもなく添うように隣に並んだ長身を見上げれば、ちょうどその姿は眩しい照明を遮る形で薄く影がかかっていた。
“どうして”
そう問い詰める色の強い、僕の真意を探ろうとするみたいに鋭い目をした彼を制するように言った。

「最後になるかもしれません」

彼にだけは誤魔化しを言いたくなくて、言った。
大きな身体がぴくりと動き、射抜くような視線で僕を貫きながら影のかかった顔に苛立ちが乗る。

「お前からそんな言葉聞きたくねーよ」
「すみません」

僕の抑揚のない謝罪の声が彼の全ての言葉を奪ったのが分かった。
眉を顰めて一言英語で毒突いた火神はそれっきり黙り、しばらくしてからぽつりと零れるように言葉を紡いだ。
いつだって鮮烈な彼の、心を押し殺したような。なのに殺しきれず零れ落ちてしまったかのような苦しげな様子に、黒子の心も痛い。

「・・・それしか、ないのか」
「分からない。でも僕は今、君とこのチームでバスケすること以上に大切なことはありません」

自分で言った言葉が僕の心のやわらかい部分をぎゅっと抱きしめたように、彼の心の深くて大きい部分に影響を与えたのを感じた。
自然と立ち止まっていた僕たちを、ベンチの方からちらりと見た監督が仕草でこっちくんなと留める。
二人だけで話す機会をつくってくれる監督に甘えて、はじめてまっすぐに火神の燃えるような赤い瞳をゆらゆらと揺れる瞳を見つめた。

「火神くん、君に焼き付けたい。最高のパスを君に出します、生涯忘れないぐらいの」

焼き付けてもいいですか?
一呼吸置いて伝わるのを待ってから、そう言った。
彼に届くよう、それだけに意識を傾けたら喧騒がすごく遠くに聞こえて、希うような自分の声がその場にやけに響いた気がした。

「もう、―――に・・・」
「え?」

小さすぎて聞こえなかった呟きに聞き返すとぐしゃりと髪を撫ぜられて。
見上げようとしても上から押さえる力のせいでできなくて表情を見て読み取ることもできない。

「火神くん?」
「なんでもねーよ。つーか、それは俺の台詞だ」



「お前に刻み付けてやる。一生分のバスケを、俺がお前に」

僕の頭を押さえ込んでいた力がなくなったけれど、強制的に下を向かされていた体勢のまま僕は見ていた。
ボールを簡単に掴み取る彼の大きな手が、手に入らない何かを掴むようにやわらかく握られるのを。
そしてきつく握られる瞬間を。

僕はそれを見ないふりを、した。







「・・・不思議です。君が言うと全然大げさに聞こえません」

寄せられる気持ちの大きさが嬉しくて、上手く返事ができなかった僕はそう言って場を繕ってみたけど、変なところで勘のいい彼は気付いていたのだと思う。
僕を見つめていた真剣な目を緩ませて細く笑った。それはしょーがねぇなって笑う――話を混ぜっ返しては煙に巻く僕を察した時に彼がするのと同じ、僕を甘やかすための顔だった。

お互いに零れ落ちそうな大きな感情を持て余して、もうそれ以上の会話は口にしなかった。

そうしてどちらともなく一歩を踏み出し作戦指示の続いているベンチに向かい輪の中に加わる。問いかけるような視線を投げる監督に僕たちはそろって頷きを返した。
矢継ぎ早に細かい指示が飛び、答えるメンバーに重ねて大きく声を出す。
受け取ったタオルで汗を拭く火神の横で腕の調子を確かめながら手短に連携を確認していると背中にたくさんの声援を受ける。それにメンバー全員の士気も高ぶっていくのが分かる。

10秒前の合図が鳴り、拳をぶつけ合ってコートへ向かう。
送り出す監督の最後の指示は僕たちへのものだった。


「火神、黒子、――全力でいけ」

「はい!」

「はい」


コートに戻るとき、僕はその先にあるリングだけを見ていた。
そして隣を歩く火神の存在を一番強く思っていた。強く、感じていた。



笛が鳴り時間が動き出す。
そうして僕と彼の刹那の、一生を賭けた8分48秒がはじまる。